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ウキウキ研究会の会報「プカプカ通信」の一部をwebで紹介します。
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カテゴリ:プカプカ通信( 133 )

プカプカ通信155・Jul-7-2016

             「海の詩集」の紹介    はやししげお

 2016年5月26日、東京のコールサック社(コールサックとは石炭袋の意味)より、表題の「海の詩集」が刊行されました。その編者の一人は、みなさんおなじみの若宮明彦こと、鈴木明彦先生です。
 彼は、漂着物学会では貝の先生として知られていますが、専攻は地質学・古生物学です。またそれだけでなく、これまでに「貝殻幻想」、「海のエスキス」、「北方叙情」などの詩集や詩論集を発表されています。
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 「海の詩集」は、現代詩人と物故詩人とのおよそ70名の海の作品を集めたアンソロジーです。もちろん彼の作品もあり、その中から一つArgonauta-漂着者を紹介します。

Argonauta-漂着者



 東シナ海の潮境で小さな光を見た
 それはすべて黄水晶の粒であった
 光の壁を幾重にも幾重にも束ね
 一千万年の眠りについていたのだ

 ギリシアの王子イアソンは船旅に出た
 船大工アルゴスの造った巨大船に乗り
 勇士ヘラクレスと名医アスクレピオスを従え
 〈黄金の羊毛〉を求め大洋をさ迷い続ける

 ふと長い夢からさめると
 ここは〈黄金の国〉ジパング
 ユーラシアの東縁まで流されたのか

 対馬暖流のゆりかごから離れ
 北西の〈アイノカゼ〉に揉まれ
 エゾ・イシカリペツの砂丘へ漂着


 アンソロジーに収録された詩も素晴らしいのだが、「潮風のローマンス」と題された巻頭の編者の言葉がたまらない。ほんのさわりだけを紹介しましよう。
               
 地球儀をぐるりと回して、北半球を眺めてみよう。次にわたしたちのなじみ深い北半球の周辺をじっくりと見てみよう。キリのいいように北半球の赤道と北極を二分した北緯45度線をたどってゆくと、日本列島の北方の島、かってエゾ地とよばれた北海道へとたどりつく。本州とサハリン(樺太)に挟まれた北海道は、北東を頭としたイトマキエイのように元気よく飛び跳ねている。知床半島・根室半島が頭、渡島半島が尾にあたるとすれば、左右のヒレが宗谷岬と襟裳岬にそれぞれ相当する。

 こんなイントロダクションで始まる「潮風のローマンス」、地理的な硬質なことばと詩的なインスピレーションの融合で、ぜひ多くのビーチコーマーに手にとって読んでもらいたい一文です。
 そしてこの一文は、先日亡くなられた石井忠先生へのオマージュのように映ってなりません。




     2016北海道ウキウキ研修会inアポイ  田中マサヒト

6月25-26(土日)様似町アポイ岳のふもとに北海道各地からつわもの達、いつもの6名が集結し、2012石狩-厚田研修以来4年ぶりの「北海道ウキウキ研修会」を賑々しく開催したのであった。
それぞれ、この日のためにお肉や脂肪をたっぷり溜め(二人以外は)決して弱みを見せぬように、お腹を突き出し「おひさしぶりぃ~」などと会話を交わして始まったのである。
日高の横綱 石川氏と田中。十勝の横綱 小林氏と藤山氏と行司の中司氏。札幌から若年寄の圓谷氏6名である。どこから見ても、怪しげな仲間内である。
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それはさておき、土曜日のお昼にアポイ岳ジオパークビジターセンターに集合し、さっそく腹ごしらえのためホテルアポイ山荘にビジターでもらったジオ得クーポンでジオカレー、ジオ天丼、ジオ担々麺をそれぞれ食べました。この券は、この日ならお風呂がタダで入れるという特典付きなのです。昼食後天気はいまいちだったのですが、浜を歩きたいというので以前に漂着仏が上がっていた、アンモナイトが時々拾える浦河の浜を歩きました。日高本線が不通になっているので、どうどうと線路を歩いて浜に入ったのです。
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いまいち何も無い浜でしたが、マキちゃんが小さなアンモナイトが3個ほど入った石を拾ったので、案内役としては一安心でした。
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この日は、夕食の食材を買って、「アポイ岳調査研究支援センター」に入り、さっそくアポイ山荘のお風呂に入ってから、夕食の準備。センター名物「闇ラムしゃぶ鍋」を食べながら、北海道博物館の学芸員である圓谷氏に「漂着物とは何か?」と題し発表してもらいながら、いつの間にか「ウキウキシンポジウム」に入っていました。漂着物のことはもちろんのこと、亡くなった陶片の久保さんや前会長の石井先生との思い出などを遅くまで語りました。
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翌日の日曜日は、雨降りで天気が・・・超いまいち、浜歩きは無理なので、その朝にNHKで放送された「自然百景」に感化され、様似特産の「カドバリヒメマイマイ」の採取に山に行ってきました。どうにかそれぞれが2個体ほど取ることができました。
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その帰りに昔開催した「北海道大漂着物展」の時にお世話になった「バイナリー小林さん」が最近自分で建てられたログハウスを拝見させていただきました。漂着物展の時に飾られていた流木のランプなど懐かしいものもありましたよ~・・・ここで、忙しい、えりも町産業振興課石川課長と別れ、浦河郷土博物館を見学し、浦河で昼食をとって解散しました。
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天候には恵まれませんでしたが、10月の漂着物学会北海道大会に向けての一歩にはなったはずです。皆さんお疲れ様でした。食べすぎには注意して札幌でお会いいたしましょう。
(10月に開催の漂着物学会北海道大会終了後、2泊3日ぐらいで様似町において研修会を予定しています。)








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by uki-puka | 2016-07-07 07:39 | プカプカ通信 | Comments(0)

プカプカ通信154 ・ June-10-2016

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                 2006 長者ケ原遺跡にて

 私たちが敬愛する石井先生が5月30日、心不全で78歳でご逝去されました。心よりお悔み申し上げるとともに,多くの寄稿を頂いたプカプカ通信では追悼号にさせていただきました。



 昨年の徳島での学会の時、林さんともう一度、石井先生のところに行きたいね~と話をしていました。 気さくで、ちょっとお茶目な爺さん。北海道大会の時にあちこちと見学していて、お昼ご飯が遅くなった時、「ひもじいな~」と何度も発言されたので、いつの間にか私たちの仲間内では「ひも爺さん」と言われるようになりました。 様似での講演会や懇親会での思い出をはじめ、福岡大会の時にお宅にお邪魔して、私設博物館を見せていただいたり、ドリアンを頂いたりと思い出はつきません。 2004年の京都丹後大会から2010年の福岡大会の7回学会でご一緒させていただきましたが、いつもニコニコされ、誰にたいしても隔たりなく接して声をかけられる先生でした。 本当にもう一度お会いしたかった・・・もう叶いませんが~・・・ 心からご冥福をお祈りいたします。安らかにお休みください。
ウキウキ研究会 北海道支部長 田中マサヒト
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              2010年11月 石井先生の海の館にて


            惜別・石井忠先生   はやししげお

 先生のことを思い出せば、多くのことが次から次へと脳裏に浮かび、際限がありません。偉ぶるところの全く無い石井先生、誰にも同じように対応され、多くの人に愛されていて、どの総会の宴などでも常に人だかりの中心にみえました。私は総会だけではなく、数々の総会の下見や講演などにご一緒させてもらいましたが、そのスタンスは変わらず、いつも人気者でおられました。 最初に先生の名を知ったのは、1981年8月に小学館から発行された雑誌・Be-Palの創刊2号でした。ここで「ビーチ・コーミング 漂着物採集行のすすめ 日本の第一人者、石井忠さんに逢ってきた。」と言う3pに渡る記事からでした。このときの先生は44歳、まだ男盛りで脂ぎったイメージでした。ここで先生の名前は脳裏に深く刻まれました。その後、朝日文庫の「漂着物事典」、平凡社の「渚の民俗学」を買い求め、石井ワールドに引き込まれていきました。そして1999年のGW、近所の本屋でその年の4月末に出たばかりの「新編・漂着物事典」を見つけました。ハードカバーになったくらいかな?と手に取れば、新知見が満載で決定版!この年のGWは、これを読んで終わりました。わたしは幼少時から愛知県の知多半島で遊んでいましたが、この本の影響で浜歩きを再開し、漂着物にのめり込み、2001年に創設された漂着物学会に入会し、2002年の福岡大会で石井先生にお目にかかることができ、自称・弟子から、弟子に昇格したのでした。そして先生はいつも弟子のことを気にかけられ、幾度となく持ち上げ、可愛がってくださいました。ありがとうございました。
2000年代中ごろの講演ではいつもココヤシの実と、ソデイカの拓本を持ち歩かれ、「こんなのイカがですか?」とイカ星人になっておられた姿が忘れられません。
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                    2006年柏崎にて
    
先生は漂着物とともに、マンモスや恐竜もお好きでした。2006年、柏崎市で「渚モノがたり」と銘打った漂着物展が開かれ、その講演後に恐竜発掘現場が見たいとのことで、富山市大山地区の恐竜足跡化石発掘現場へお連れしたことがあります。新潟県柏崎市から富山市までは130㎞ほどの道のりでしたが、今思い出しても楽しくなる珍道中でした。途中に道の駅でもあれば、すぐ休憩!気配りの石井先生ですので、その手にはプリンやら、いつもおやつがありました。ヒスイの出る市振海岸では、二人とも足元を濡らしながらのヒスイ探し!道中「たら汁」の看板があれば「たら汁、たら汁」と、何度も言われていました。昼食後でしたが、今思えばひもじかったのでしょうか?気付かず止まってあげられず、ごめんなさい。 
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            2006 富山市黒川上流の発掘現場にて

 私はかなり初期からETCを使っていましたが、この時に同乗された石井先生は初めてだったようで、大そう驚かれていました。入るときも「切符取らんでいいのかね、強行突破はいかんよ!」。一番おかしかったのはETCレーンを出るときのことでした。料金表示が出てゲートが開くのですが、その時の先生の一言が忘れられません。「こうして助手席に乗せてもらうと、料金所のあたりに来ると、そわそわしてね。財布を出そうか、出さまいか、迷うんよ。財布出すのも失礼かと思うし、出さなきゃケチと思われるのも嫌だし、ETCは、良かとね。何も心配いらんとね」そう、満面の笑みで話されたのでした。(笑)こんなエピソードも気配りの石井先生ならではですね。
 先生に渡された「漂着物楽の普及」のバトン、微力ですが、次の世代へ渡して行きたいと思っております。高いところから見守っていてください。
 最後に、心よりご冥福をお祈りいたします。
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                 2010年 海ノ中道にて



思い出すあの笑顔

 初めて石井先生をお訪ねしたのは、学会設立の何年か前のことでした。ドキドキしながら玄関を入ると、上がり框には大きな赤いザルのような船が鎮座していました。ご著書に出会って以来あこがれ続けた先生が目の前にいらして、次々とお気に入りの漂着物を見せてくださるので、私はすっかりぼうっとなってしまい、どんなお話しをしたのかも夢の中の出来事のようにふわふわした記憶しかありません。
 赤いザルの船は、お伺いする数日前に奥様と二人でえっちらおっちら運んできたそうで、『今日あなたが来るのだから、あの日に無理して運ばなくても、置いておいて手伝ってもらえば良かったねえ』とニコニコしていらっしゃいました。
ある時は、ゆきさんが集めた与那国の種たちをご覧になって『沖縄にはこんなにいろんな種が寄ってくるのか』と心底うらやましそうにつぶやかれたので、八重山諸島へのビーチコーミングツアーを企画しましょうよ、と言ってみました。すると、『いいねえ、行きたいねえ。でも、これから行ってみても、もうあの人らが拾ってしまって、何も拾えないんじゃなかろうか』と小さな声で言われました。
 北海道で立ち寄った博物館の前にあったナウマンゾウの像にまたがる先生(もちろん、のぼらないでくださいと注意書きあり)、古賀大会のビーチコーミングで私が海豆を拾ったら、よかったねえと言いながらとっても悔しそうだった先生。誰彼の話を聞きながら、漂着物を見ながら、いつも浮かべていらした穏やかなあの笑顔。   
 先生のたくさんの教え子たちの一員として、わたしたちも漂着物の生徒の一人であったことが、どんなに喜ばしいことであったかを、今しみじみとかみしめています。
彼岸の浜を、久保さんと一緒にのんびり歩いていらっしゃる頃でしょうか。
石井先生、どうもありがとうございました。             小島あずさ
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                   2006年 ご自宅前にて



      石井先生 ありがとうございました    鈴木明彦

五月末の朝、横浜の京馬さんから初代会長石井忠先生が亡くなられたとのメールが届いて、驚くとともにショックを受けました。しばらく呆然としていたのですが、意を決して当日福岡に向かい、先生のお通夜に参列しました。先生はいつもの穏やかなお顔でした。お通夜の後、先生の奥様やお孫さん(中学校の数学教諭)と、先生の思い出についてお話しすることができ、いくらか心が和らぎました。
漂着物学会の創立以前から、石井先生の著書は拝見していましたが、初めてお会いしたのは漂着物学会福岡大会(2002年)の時です。初対面にも関わらず、先生は気さくに話して下さり、色々とアドバイスをいただきました。また、大会に持参した名著『海辺の民俗学』にサインをして下さいました。この時の言葉「ただひたすら歩く」は、私の座右の銘にもなっています。
2006年の北海道大会ではとてもお元気で、軽妙洒脱なお話しで場を盛り上げるともに、熱心にえりもの百人浜を歩かれていたのが印象的でした。あれから10年の今年再び北海道大会の開催となりました。ご来道されるのは難しいと伺っていましたが、北海道大会の様子をご報告できればと思っておりました。今までの石井先生のご厚情に感謝するとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

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              福岡大会(2002年)でのひとコマ


石井先生へ

北海道も冬のあいだ眠っていた草木がすっかり繁り、あるものは花を咲かせ、実を結びつつあります。4月の29日に雪が積もり、5月の20日から4日間は30度越えで、どうなっているのかと思った今年の春ですけど。

先生が昨年冬から入退院を繰り返していらしたことは、田代さんに伺っていました。それでも今回もまた、ペースメーカーやステントを入れた時のように「人造人間になった」なんて言いながら、暖かくなった頃に退院して来られるのだと思っていました。
訃報が届く前日に田代さんからの手紙が来て、しばらくは退院が難しいことを知りました。それでも、次の日に先生の訃報が届くなんて思ってもいませんでした。
ああ、お元気なうちにもう一度お会いしたかった!お見舞いに行かなかったことが悔やまれます。

石井先生は私のような者も持ち上げて、北海道には北海道全域を巡って毎日『のらつうしん』を発行している女性がいると、あることないこと(笑)著書に紹介してくださって、私は先生に足を向けては寝られません。

私は先生のイラストが大好きです!改めて戴いたたくさんのお手紙、印刷物・資料などを見直していました。なんと心を掛けていただいたのかと、その愛に涙が溢れます。本当に本当に申し訳ないくらい良くしていただいた。有り難い。
この感謝の気持ちを私はちゃんと先生に伝えただろうか?そしてもう伝える術がないと分かった今は、ただただ哀しみにくれるばかりで、心にポッカリと穴が開いたようです。

漂着物学会とそこで出会った方々で、私の人生は大きく変わりました。これもひとえに石井先生のおかげです。
先生には御恩返しはできなかったけれど、これから私ができることは多分、私のできる形でこれから後に続く人に心を掛けていくことではないかと思っています。
ありがとうございました 石井先生。
                                 中司 光子

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                2008年 伊良湖岬にて
 
 石井先生の訃報を聞き、呆然としています。
 年に一度の漂着物学会の際にしかお会いできないので、いつも大会出席を楽しみにしていました。懇親会の僅かな時間に「この間、○○ひろったんですよ〜!」 というこちらの話をニコニコしながら、ちょっぴり悔しそうにしながら聞いて下さるのが、たまらなく楽しかったです。
 種子島大会の浜歩きでは、そこらじゅう におちているためひろう人があまりいないヤシの実を片手に、「ヤシの実は誰も拾わなくなってしもたね」とちょっとふくれながらいっておられたのが、ヤシの 実びいきの先生らしいと印象に残っています。
 学会でお会いできなくなってからも、福岡にお住まいの方から、石井先生と骨董市にいった話などお聞きして、お元気そうでよかったなあと思っていました。まだまだお元気で過ごされると思っていました。
 あのユーモアたっぷりのお話を聞くことができないのが、寂しくて たまりません。
小林 真樹

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                    2010年 ご自宅にて

あれからあっという間に日が過ぎてしまいました。
告別式はまるで家族のお別れのようでした。
私にとってはそれ以上だったかもしれません。
私たち5人は、中西会長、田代さん、大上さん、藤枝さん、ユキ。
ご親族の席にまぎれて座らせてもらいました。
ご友人、ご家族の挨拶のお話に私たち一列みんな涙し
すすってました。
勿論私たちだけでなく参列されてた皆さんもです。
本当に愛されてました。
あんなに長い弔電、まるでお手紙のようでした。
読んでいただいた方皆さんそうでした。

頭の中に穴が開いちゃい ました。
泣き虫の私は時々涙してます。
体操に行ってる時も。

そしてこうも思います。
久保さんと何もとらわれずに浜を巡ってると。
ユキ
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                    2005年 葉山にて         

From Editoe: 残念ながら153号に引き続き、故人の追悼号になってしまいました。この5月には久保さんに続き、私たちの心の支えでもあった石井先生のご逝去もあり、深い悲しみに包まれ梅雨を迎えようとしています。秋の北海道大会は、お二人の追悼大会になることでしょうね。
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by uki-puka | 2016-06-10 07:13 | プカプカ通信 | Comments(0)

プカプカ通信153 ・ May -25-2016


      さようなら! 陶片名人 久保さん! 鈴木明彦

五月半ばのとある夜、横浜の京馬伸子さんから広島の陶片名人の久保公子さんが亡くなられたとのメールが届き、大変驚きました。わたしよりも若干お若いはずなので、五十代半ばではないでしょうか。ここ五年くらいは、漂着物学会の大会でお会いする機会はなかったのですが、陶片ブログやプカプカ通信を拝見していたので、お元気であろうと思っていました。おそらく退職後は、膨大に集められた陶片を整理されるつもりだったのではないでしょうか。これらの研究成果を学会誌や会報にまとまったかたちで書いていただけなかったのは残念でした。
貝がらや石ころに興味があるわたしには、まったく不案内のジャンルが陶器や硝子瓶でした。特に陶片となれば、訳のわからない欠片で、石の方が価値があるだろう(失礼!)と思っていました。しかし、わたしにとってまったく関心のない陶片でも、久保さんの手にかかると見る間に出自が判明し、貴重なお宝のように思えてくるのでした。差し出された陶片を次々と同定してゆく久保さんの知識にはいつも驚いたものです。久保さんの貴重な陶片コレクションが何かの機会に公開されることを願って、追悼の言葉といたします。
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            北海道大会(2006年)でのひとコマ



            惜別 陶片狂さん      はやししげお

 去る2016年5月6日、陶片狂こと久保公子さんが急性心不全のため、ご逝去されました。今年還暦を迎えた私よりも少し若い久保さんの訃報を聞き、驚くとともに、まだまだやってほしいことがあったという思いも入り混じり、寂しい思いでおります。
 久保さんは漂着物学会初期、そしてウキウキ研究会も初期からのメンバーで、ネットでは早くからホームページ「陶片窟」を立ち上げ、漂着物の中の陶片にスポットライトを当ててみえました。身近な広島の陶片収集から始まり、その分類や分析も行われ、焼き物の産地にも何度も足を運ばれ、研究をつづけられました。そんな陶片のエキスパートの急逝は、「困ったときの陶片狂頼み!」ができなくなったわけで、多くの漂着物愛好家が、残念に思っているはずでしょう。
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       2004年の丹後大会でのスナップ・右端が久保さん

 上の写真は2004年11月、京都府京丹後市琴引き浜で行われた漂着物学会・丹後大会のものです。写真は右から久保さん、鈴木先生、小林さん、エマさん、田中副会長です。確かこの日は紅皿を見つけられ、喜ばれていた記憶があります。
 久保さんは陶片窟をはじめネットを中心に陶片の情報をアップされてきましたが、紙媒体もいくつかありますのでその一部を紹介します。

・漂着物考-浜辺のミュージアム INAX 2003 共著:石井忠、中西弘樹、久保公子他
 イナックスの漂着物考展の図録

・水辺の陶磁器-広島県の海岸と河川を中心に-アジア水中考古学研究所,有田町歴史民俗資料館 2010
 宮島の大鳥居の下で陶片を拾ったことをきっかけとして,広島の海岸や川で16世紀から19世紀の陶磁器の破片を拾い集めるようになった久保公子さんのコレクションを,採集場所別に,陶器の種類ごとに分類して写真で紹介している。巻末の「陶片採集記」には,陶片拾いの楽しさが綴られている。

・プカプカ通信 No18 2003ろくでもないメッセージつきの浮子、No23 2004 島根県浜田市国府海岸の浮子製人形、 No50 2006 漂着玩具たち、 No55 2006 陶片と浮子の町、鞆港、 No59 2006 広島のガラス浮子と石製沈子、 No74 2008 福山市鞆,架橋計画による埋立て予定地の堆積物、 No139 2015 ウキアートの島,小豆島で陶片拾い
・資料提供
・福井県の海底文化財に関する調査 佐々木達夫, 田中照久, 田﨑稔也, 渡邉玲
金大考古 69,1-13 2011

・新潟県の海底文化財に関する調査 佐々木達夫、田﨑稔也、渡邉玲
金大考古 69,14-34 2011

・島根県・山口県の海の文化遺産に係わる資料 佐々木 達夫、佐々木花江
金大考古 71 2011, 14-34. 



○ これまでに久保さんと関わられた方々から、お悔みのメッセージや追悼文を頂いているので、順不同で紹介します。


突然のことで信じられず、胸が塞がれる思いです。
19日夜にKさんからのメールで知りました。5月6日午後9時、急性心筋梗塞だったそうですね。

このところブログの更新がされていないことが気がかりでした。仕事が忙しいのかな?パソコンの調子が悪いのかな?それとも調子が悪いのは人の方だったりしないのかな?と手紙を書き、のらつうしんにGWに道北で拾ってきた陶片も入れ、封をしたのが19日でした。翌日には投函するつもりでした。

私が久保さんを知ったのはINAX出版の『漂着物考』だったと思います。上手な文章を書く人だな~と思いました。
えりも大会懇親会の久保さんを思い出します。失礼な写真を撮った私に、「学生の時に楽しめなかった修学旅行の楽しさを味わった。楽しかった。」と言ってくださいました。
当時ブログを見られなかった私に、久保さんは見てもらいたいからと言って、長い間わざわざプリントアウトしたものを送ってくださいました。資料や本が送られてくることもよくありました。ある時は『ごりらのはなくそ』なんていう御菓子もいただきました。
もちろん陶片の鑑定ではとてもお世話になりました。
黒くて艶のある虫〇キブリが大の苦手だった彼女。絵やその名の文字を見るのもダメだった。それなのに通勤途中で見た気持ちの悪い虫の写真が送られてきて「これは何?」なんていうこともありました(笑)。
のらつうしんを送るとメールや手紙で妄想いっぱいの感想をくださいました。前回は鳥の羽が欲しいと言うので送りました。お互いに好奇心旺盛で楽しめましたね。
彼女の職場の机の引き出しや、通勤着のポケットには今も陶片が入ったままではないかしら?

亡くなったことが、とても残念でなりません。多分これから先に時間ができたら、それまでの成果をまとめてと思っていたことでしょう。誰もがそう信じていたのに。早すぎましたね。
ねえ~久保さん、多分自分が亡くなったことに気づいていないんじゃない?みんなも信じられないでいるんですよ~。
今度の大会の時に、こそっと現れたりしませんか?

中司 光子




久保さんへは、「去年の11月に岡山に越してきましたのでよろしくお願いします」と与那国島で拾った陶片を送ったり、お返事をいただいたりして年賀状までは、やり取りをしていたのですが、
しばらく連絡をしてませんでした。
5月8日ぐらいだったと思います。友人と久保さんの話をしてたんです。
そろそろお手紙しようかな。と思っていたところでした。
しんじられません!

毎年学会のときにお会いできるのをとても楽しみにしてました。
拾われた陶片のお話をお聞きするのもとても楽しみでした。
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              2006年北海道大会でのスナップ

優しく微笑んで、陶片のこととても深く篤く話してくださいました。
おちゃめな面も。
そして私の種の話やガラスの瓶や、おもちゃの話も受け止めてくださいました。
最近の久保さんからの贈り物は何とロケットのフェアリングでした。
いつもいっぱい気にかけてもらい嬉しかったです。
まだ何も受け止められません。
でも大好きな陶片の中にいらっしゃることはまちがいないです。  

ご冥福を    ユキ




Please forgive this clumsy, English message; it’s written in great shock, with deepest sympathy for the bereaved family.
Kubo-san inspired me immensely, through her amazing knowledge, passion, wit, and generosity. I wish I could have told her how much happiness she brought, and…
I expect we all feel the same.
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Here is Kubo-san last autumn – beachcombing into the sunset:

…What a devastating loss to everyone this is.

Emma L (miniature.stone@gmail.com)

この不器用な、英語のメッセージを許してください。それは、大きなショックを受け書いたもので、ご遺族のための深い同情をこめています。
久保さんは、彼女の驚くべき知識、情熱、ウィット、そして寛大さをもって、私に大きなインスピレーションを与えてくれました。私は彼女がもたらしてくれたことで、どれだけ幸せになれたかと、彼女に伝えたいのです...
それはきっと皆が同じ気持ちでいるはずです。
これは久保さんが昨年秋に夕日を浴びてビーチコーミングしていたところです。
...これは、皆にとって非常に大きな損失でしょう。

エマ・ロングホーン





陶片狂さんの訃報を聞き、突然のことで驚いています。
学会でお会いしたのは、おそらく東京・神奈川大会が最後ではないかと思います。
その時も、陶片狂さんは、陶片にかける情熱、熱い語りとユーモアで、わたしに陶片の魅力を語ってくれたのを思い出します。
陶片狂さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。         
石川慎也





久保さんが亡くなられたことを聞き、言葉もなく涙が止まりません。

手紙や資料をお送りしても、音沙汰がないのでおかしいなあと思い、
携帯にメールを送ったら戻ってきてしまい、体調を崩しているのではと
心配していたところでした。

以前久保さんから「あまり体が丈夫ではないし、いつまで元気に陶片を拾いに出かけられるかわからないから拾いに行けるときにひろっておこうと思って。集めたものの整理はいつでもできるから」と聞いたことがあります。
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            2007年種子島大会でのスナップ

なんどかご自宅に泊めていただいたこともありますがここしばらく漂着物学会にはいらしていなかったので会いたいなあと思っていました。
あの膨大な陶片についての知識、とことん調べる熱情、そしておかしみたっぷりの名文。彼女からのメールや手紙は本当に楽しみでした。鞆の浦などの陶片拾いをご一緒したこと、自宅近くの川のそばを歩きながら【この川でだけは拾うな(ご近所の目が…)】とご両親に言われていると聞いたこと、夜通しコレクションを見せてもらったことなど、思い出はつきません。

小島あずさ




久保さんの突然の訃報にびっくりいたしました。しばらくお会いしてないので、今年の北海道大会にぜひ来ていただきたいと思っておりました。お願い事もいっぱいあったのに、残念です。初めて参加した京都丹後大会で民宿に入ると「こんにちはわ~」と言って玄関に出てきた久保さんを民宿のおかみさんと思い込んだことが思い出されます。横浜やえりもでも楽しい時を過ごさせていただきました。心よりご冥福をお祈りいたします。

田中正人  
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           2007種子島大会 「最新鋭ロケット メタドン」







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by uki-puka | 2016-05-25 07:47 | プカプカ通信 | Comments(0)

プカプカ通信152 ・ Apr-15-2016


       今年のウキウキ初めは「白樺浮き」から~ 田中マサヒト

 3月26日土曜日、今年初めての地元鵜苫の浜を歩きました。暖かくなってくると自然に足が浜の方に向いてしまうのです。
 冬の大時化のせいか、堤防の下にあった漂着物は流され、だだっ広い浜になっていましたし、かなり陸の上に押し上げられている状態でした。
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 冬の間は特に運動もしないので、なまってしまった体にムチ打ちながらゆっくりと歩きだしました。今年初めてだったので、シリンダー1個を含め6個のガラス玉を拾いウキウキ気分で、ランランとまではいかないものの、春を感じながら出たお腹の事も忘れ歩いていると、「お~っ」白樺浮きがありました。しかも私自身初のロープ(ヒモ)付きだったので自宅に持ち帰りました。
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 初めて白樺浮きを拾った時は、「白樺なんて北海道では普通にあるし、これが浮きだなんて」と浮きであることが信じられなかった事を思い出します。でもよく見ると、ナイフで切った後があり、「浮きなんだ~」と・・・で、その頃はこの浮きがどこで使われているのかが、ウキウキ仲間の?の一つだったのですが、昨年の漂着物学会徳島大会において、林 重雄さんが、「欧米で使われている」との研究発表により、現在でもこのような自然素材のものが使われている事が分かったのです。ただ、欧米のものが日本に来るのかな~と、ネットを見ていると林さんのブログに白樺浮きと一緒についているハッポー浮きにハングル文字が書いてあったと出ていました。この辺に来るのは朝鮮半島からなのかと思われます。
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 自宅に持ち帰った白樺浮きに絡まった漁網やゴミを2時間以上かけようやく取り除き、体も目もコタコタになりました。ゴミなどを取り除くと、55個の浮きがついていました。
 浮きの長さは6~9cm、太さは2.5~4.5と自然素材だけにバラバラです。
 白樺の皮は、私の小さいころマキストーブの貴重な着火剤として普通に使われて、「ガンビの皮」と呼ばれていました。(ガンビとは、白樺のことです。)もちろん現在の子供や青年など、「ガンビ」などと云っても?????ですね。私たちぐらいの初老前の超~中年ぐらいまでしかわからないようです。しかし、私は白樺浮きは必ず拾ってきて、夏のバーべキュー(ジンギスカン)の炭の着火に使っています。

From Editor : 田中さんが様似町の海岸で拾われた白樺浮きのセット、やはり普通に考えれば、日本海を北上したモノが、津軽海峡を抜け手太平洋側に出て、えりも岬の手前にある様似へ漂着したと考えるのが一般的でしょうね。
 林が2015年の徳島大会で口頭発表した白樺浮きについては、概要が漂着物学会会報・どんぶらこ第52号に掲載されています。またハングルの記された漁具と一緒に使われていた白樺ウキについては、漂着物学会誌13号(2015)に掲載されています。学会誌の短報は、漂着物学会のウェブサイトからも見ることができます。PDF閲覧




              アナゴ漁雑記    はやししげお

 日本海側の各地には、韓国製のアナゴ漁で使われる漁具の「ウケ」が漂着しています。そしてウケの入り口に使う「返し」は、ウケ以上に漂着しており、返しはウケの20倍以上漂着しているものと見積もる事ができます。
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 この写真の上の段に在るのは。ウケの返し部分です。アナゴ漁をする際に、アナゴなどの出し入れをするとき、返しを外すので、漂着量が増えるのでしょうか?
 中央の段は、両口のウケと返しです。パイプの両端が口になっており、入る確立は倍になりますが、その分入っているのかは不明です。ちなみに漂着量は片口のものに比べて少ないものです。下の段は片口のウケと返しです。ウケが大きくみえるのは、ぺしゃんこにつぶれているからです。韓国では、こうした漁具を使って、かなり大規模にアナゴ漁が行われており、大量のウケ関係の漁具が日本海側には漂着します。
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 ウケの返しは円錐形をした黒っぽい網目状のコーンです。この返しを使った遊びを一つ紹介しましょう。この返しを二つ用意して、尖ったほうを開き、その中にもう一つのコーンを先っぽから挿入します。すると、鼓型となり、これは写真のように何か物を載せる台として使えないでしょうかね? この返しは、非常に多く漂着しているので、いつも何か良い使い道はないものかと考えています。
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 さて、ここでいきなり話がとんで、本の紹介です。みなさん、この本をご存知でしょうか?水中写真家として知られている中村征夫さんの「全・東京湾」です。これは1987年5月22日に情報センター出版局から発行されたもので、もう今からおよそ30年も昔の本です。カバーにあった中村征夫さんの写真を見ても、髪がふさふさで、やはり時代を感じさせます。
 当時の海は、ヘドロの海といわれていた頃で、東京湾一体の漁師さんを追いかけて、一緒に船に乗り込み、写真を撮りながら書かれたルポルタージュで、もう今では見られなくなったモノも載っているのでしょう。
 こうした身近な海を追いかけた中村さんの著作、今でもビーチコーマーには興味深く読めるものと思われますので、みなさんにオススメします。この本は文庫にもなっており、入手もしやすいはずです。ただ老眼のオレはハードカバーですが!(笑)
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 この「全・東京湾」に東京湾のアナゴ漁が二種類紹介されています。ここに転載したのは、東京都羽田沖で江戸前のアナゴを捕るIさん。写真のウケは、長さ70cmほど、直径15cmほどのもので、この中に冷凍のマイワシを餌に入れ、200本ほどを仕掛けるそうで、このウケを生みに入れるだけで30分ほどかかるそうです。そしてウケを船上に引き上げるのには3時間ほどもかかるそうです。
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 こちらは千葉県富津のアナゴ漁師のMさん。こちらは、東京の筒と違って、網のカゴでアナゴを捕まえるそうです。ただ、中身の餌は同じだとか。Mさんは夜のうちに2400ヒロのみち綱に等間隔でつけられた200個ものカゴを仕掛け、朝になったら引き上げるそうです。当時のアナゴの値段ですが、親指ほどのMサイズが最も値段が高く、東京の築地市場で1キロ当たり2000円だったそうですが、千葉ではサイズに関わらず1キロ当たり1000円だったそうです。東京湾、当時とは大きく変わっているでしょうが、まだ読まれてない方、ぜひお読みください。







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by uki-puka | 2016-04-21 22:00 | プカプカ通信 | Comments(0)

プカプカ通信151 ・ Mar-15-2016

  大事なお知らせ
 151号より、プカプカ通信はネット+PDFでの配布となりました。これまでに紙版で受け取られていた方々や、記事をいくつかお送り頂き、メールアドレスの分かる方にはPDFを添付ファイルにて送りましたが、アドレスが消失していたり、受信設定などで多くが届かずに戻ってきました。
 PDF版をご希望の方は、発行元までメールをください。そのメールに添付して送ります。



2015年12月~2016年1月の若狭のアオイガイ  はやししげお

 2015年12月、前のシーズンは、浮き玉などは多かったのですが、全くアオイガイに出会えなかったので、かなり期待をしていました。わたしが最初に出会ったアオイガイは、11月21日福井県海浜自然センター主催行事・ビーチコーミング講座前日の下見で美浜町を歩いていたときのものでした。殻口が大きく割れた欠片のアオイガイでしたが、前年のゼロに対して、この一個は大きかったのでした。
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22日のビーチコーミング当日、福井から参加された八田さんも数日前に石川県塩屋海岸で拾われたアオイガイを持参下さったので、ビーチコーミング講座参加者はみなアオイガイを気にしてくれた様子でした。

 12月に入れば、敦賀のKinさんからアオイガイ漂着!の知らせが入ってきました。知らせを受け、矢も盾もたまらず出かけたのは12月6日でした。若狭の浜では、すでにアオイガイまつりが始まっていました。敦賀市の白木、美浜町の坂尻、山上、和田、松原、久々子、若狭町の世久美、食見、漂着量の多少はありましたが、何処の浜でもアオイガイを普通に見かけることができ、その中にはメスのカイダコや卵塊を見ることもできました。12月のはじめと 言えば、晩秋・・・中部地方では紅葉が始まった頃、そんな紅葉をバックにアオイガイを撮ることもできました。
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この日確認したアオイガイは40個ほど、前シーズンが全くダメでしたので、これだけのアオイガイが確認でき、大喜びだったのは私だけではなく、日本海側を歩いているビーチコーマーの皆が感じていたものでしょうね。
 今回の漂着の特徴の一つには、小さめな殻サイズの個体が多かったことも上げられました。
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上の写真は美浜町の坂尻海岸でのアオイガイを撮ったものですが、13個体ある中で殻長が6cmを超えたものは2個体だけでした。それだけではなく、3~4cmほどの殻長をもつ個体が半数にもなる、これまでにやってきた中   でもきわめて小さい固体群からなるものでした。また、12月に採集したサンプルには、カイダコの入ったモノが多く、坂尻海岸では13個体中5個体のカイダコが確認できました。今回はかなりカイダコ入りが見つかったので、その一部は博物館などに寄贈し、標本として役立てていただく事もできました。
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今回は小さな殻も多く見つかったので、中のカイダコにも気を配って見ました。やはり小さな殻には小さなカイダコが入っていますが、こうした異なったサイズのサンプルが同時に入手でき、大小入り混じった個体群で遊泳しているのは、カイダコの成長もかなり速いのではないかという思いを強く持ちました。そして最初はサンプルの洗浄や乾燥、それに計測が楽しかったのですが、毎週末に出かけては50個体から100個体といったサンプルを入手していると体中がタコ臭くなり、洗浄も面倒になってきました。そして「そろそろ祭りも終わってくれないかな~?」などという贅沢な悩みも出てきた大量漂着でした。北陸のアオイガイに関する詳しいレポートは、2016年冬の漂着物学会誌に投稿しますので、それをお待ちください。




        ベトナムの浜だより・・・ダナンの浜辺から  小寺仁美

 まだまだ寒い冬の福井を抜け出し、息子が働いているベトナムでのんびりしてきました。
 関西国際空港を出ておよそ6時間でベトナム・ハノイまでひとっ飛びです。しかし、今回はハノイから最初の訪問地ダナンまで国内線で更に1時間半。都合の良い便が予約できなかったため、ハノイの空港で乗り換え待ちが約5時間。ダナンのホテルに到着したのは夜の10時近くでした。同行した家族はルームサービスの夜食を食べたようですが、私は疲れてベッドに直行でした。
  翌朝はおかげで早く目が覚め、スマホで現在地をチェックしたらホテルの東側がすぐ海であることが分かりました。海好きな私のために息子が海のそばのホテル を予約してくれたのかしら、と内心嬉しく思いましたが、後で必ずしもそうではないことが判明。私たちの泊まったホテルは、ノンヌォックビーチのすぐ西にあ り、ホテルから浜辺にすぐ出られるリゾートビーチで、海外からの家族連れなどで賑わう場所のようです。
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 前日遅くに到着したので、朝食はゆっくりと、ツアーも午後の3時からとのことだったので、さっそく身支度して浜辺へ向かいました。
 ホテル間近の海はダナン市街の東側にあり、東ベトナム海に面した砂浜でした。砂浜の砂は粒子も細かくさらさらで、遠浅の浜でした。この日は波が高く、遊泳禁止の赤旗がなびいていました。
 歩きだしてすぐ見つけたのは、白い二枚貝。低潮線に点々と小さな白い二枚貝が打ち上がっています。ほとんどがサルボウガイのような種類の貝で、他にはバカガイ、サギガイ、ナミノコガイ、テンシノハネガイもありました。
  浜辺でもっとも気になったのは、やはり海豆でした。と言うのも、この冬福井ではなかなか海豆が見つからず、それを探しに行くのもベトナム旅行の目的の一つ だったからです。このときは、ハマナタマメの仲間、テリハボク、それにワニグチモダマとパンギの実、不明種の黒いタネも見つかりました。写真にはありませ んが、モモタマナ、ニッパヤシ、ココヤシ、パラゴム、なども見つけました。
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 また、浜辺の高い陸側でハマナタマメの花が咲いているのを見つけました。違う場所では青い鞘が、そしてまた別の場所では黒い鞘が次々と見つかりました。自 生している花を見るのも初めて、丸々とした青い鞘や熟した黒い鞘を見るのも初めてで、うきうきしながら写真を撮ったり種を採取したりしました。
さて、ダナンの浜で見つけたのは海豆だけではありませんでした。それは遠くからでも分かりました。ベトナムの漁師さんと言えば、丸い竹籠舟に乗ったイメー ジがありますよね。そんな竹籠舟は、石井忠先生の漂着物事典に載っていたのでぜひ見たいと思っていたものでした。この竹籠舟はザルのような形でしたが真円 ではなく、長径がおよそ4m、短径がおよそ3m、高さが1mほどで、外側は赤いペンキが塗られていました。最初に見たときは人のいない様子だったのが残念でした。
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 ホテルに戻って遅い朝食をゆっくり取り、午後からのツアーまで時間が空いていたので、それならやはりビーチコーミングでしょと、さっきとは反対側の浜辺を歩くことにしました。 
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 この日は朝から波が高く、漁師のおじいさんは漁には出ないで網の手入れをしているようでした。直径2mほどの黒い竹籠舟の中にあった漁具は、刺し網の道具で、そして浮きはもちろん黄色のキャンディー浮き、淡い緑色をした単繊維で編んだ網が使われていました。
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  網のそばには金属製の筒の中に入っていたと思われる網針が何本も無造作に出してありました。網針のほとんどは白や黄色のプラスチック製でしたが、竹製もありました。そう、網針の形は世界共通のようですね。
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 翌日は、一日中ツアー観光に出かけ、浜辺を歩くことは叶いませんでした。ダナンを離れる日の早朝、もう一度浜辺を歩く機会ができました。
 朝の7時 頃だったでしょうか。決して早い時間とはいえませんが、最初の日よりは波も低く、何人かの漁師さんがちょうど漁を終えて竹籠舟の近くで帰る準備をしている ところに遭遇できました。撮影許可をもらい漁具の写真を撮らせてもらいました。刺し網の目印となる「ぼんてん」もありました。竹籠舟の中にあるぼんてんと この漁師さんの間にある白いビニール袋の中に、この日の漁で採れた魚が入っていましたが、せいぜい10~15㎝くらいの魚が10匹くらいで、その少なさに驚きました。
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 家族旅行だったので、他にもいろいろなところに行きましたが、何が一番楽しかったかと聞かれれば、やはり「ダナンでの浜歩き」でしょうね。
 ハノイに戻る空港で、モダマやパラゴムを加工してキーホルダーにしたものを見つけました。自分へのお土産に、パラゴムのキーホルダーを買い求めました。
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  大事なお知らせ
 151号より、プカプカ通信はネット+PDFでの配布となりました。これまでに紙版で受け取られていた方々や、記事をいくつかお送り頂き、メールアドレスの分かる方にはPDFを添付ファイルにて送りましたが、アドレスが消失していたり、受信設定などで多くが届かずに戻ってきました。
 PDF版をご希望の方は、発行元までメールをください。そのメールに添付して送ります。













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by uki-puka | 2016-03-15 00:00 | プカプカ通信 | Comments(4)

プカプカ通信150 Dec-1-2015

           どんぶらこ0~50合本    はやししげお  

 この夏ごろに漂着物学会の会報・どんぶらこ合本製作のアナウンスがありました。ハードカバーで一冊にまとまるということでしたので興味はありましたが、最初から入っていた学会なので、0号からすべてファイリングしてありますし、プリントされたものを刷り直すと精度も下がるので、申し込みをしませんでした。
秋に漂着物学会の総会がが徳島でおこなわれ、そのとき合本を見てびっくり!オンデマンドのコピー印刷でしたが、データの残っていたものはデータから起してあり、一部はカラーにもなっていましたのでかなり良い出来栄えでした。
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ただ、最初のアナウンスにあったハードカバーでは無かったのですが、表紙には石井先生のイラストが載せられ、良い雰囲気を出していました。石井先生のイラストは漂着物ではなく、学会の設立時期に関わった方々が描かれておりますが、これは石井先生の頭の中にあるイメージなんですね。面白いのは漂着物学会創設当時の人のイメージだったり、近未来のイメージだったり。例えば、設立の立役者となり長く事務局長を務められた高知のMさんよりも、オレのほうが髪の毛が薄いとか…知る人が見れば分かりますが、(笑)時空を無視した石井先生のイラストはステキです。
学会会場では合本が展示されまだリプリントが可能ということなので、早速申し込みました。このとき、オレ同様に申し込まれた方は20名ほど見えたようで、製本されて11月の初旬には自宅に届きました。
どんぶらこの創刊当時は縦書きでした。またそのままのプリントではなく編集されている部分も多く、現事務局長の藤枝さんのご苦労がしのばれました。初期の号ではリソグラフで刷られ、紙も黄色くなりかけた部分もあり、あまり見返すことはありませんが、届いた合本をめくると、つい時間を忘れてしまいます。



     漂着カントンアブラギリはシナアブラギリ  はやししげお

 今年の徳島で行われた漂着物学会の研究発表で、会長の中西先生の発表がありました。その演題は「シナアブラギリの種子-カントンアブラギリの種子は漂着 しているのか?」と言うものでした。その要旨は、シナアブラギリは1果実中の種子数に変異があり、それにより種子の形態も違っている。1果実中の種子数と 種子との形態の関連を調べた結果、カントンアブラギリの漂着種子とされてきたものは、シナアブラギリの種子の高いことが明らかにされた。と言うものでし た。 右の写真は、左がこれまでシナアブラギリ、右がこれまでカントンアブラギリとして紹介してきたものです。
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 このカントンアブラギリの漂着種子については、オレが言い出しっぺですので、そのいきさつを紹介させてもらいます。
  2010年ごろ、古書で明永久次郎著・「油桐」(河出書房1945刊行)を手に入れました。これには油桐による灯油の歴史から、植栽など詳しく書かれたも ので、当然種子の図も明示されていました。下に示したのはシナアブラギリの果実と種子で、一つの果実の中に5個の種子が入っているものです。
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  当時、漂着した種子しか知らず、実際にシナアブラギリの果実を見たことが無かったので、植栽してある場所を探しました。すると身近な名古屋市東山植物園に あることが分かり、秋に落下していた果実をいくつか拾ってきて確認したところ、どれにも5個の種子が入っており、シナアブラギリの種子の形が分かりました。
 ところがシナアブラギリの種子とされたものに、もっと丸っこい形のものがありましたが、「油桐」を見ていたら、それにそっくりなものはカントンアブラギリとなっていました。下に示したのはカントンアブラギリ種子の図です。
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この図をよりどころにして、漂着した種子を縦長で中央の稜のハッキリしたものをシナアブラギリ、円形で中央の稜の目立たないものをカントンアブラギリとし て使い分けていました。オレのブログでは2010年の秋ごろからカントンアブラギリとして扱い、尚さんが執筆された「草木の種子と果実」に漂着種子を提供 したときもシナアブラギリとカントンアブラギリとを分けて提供し、掲載されました。
 ただ、漂着種子をシナアブラギリとカントンアブラギリとに分類しても、その中間タイプがかなりあり、それをどっちにするのか?と言うのは悩ましいことでした。
  そして徳島での発表があり、なるほど!と思ったのですが、中西先生の提示されたPPTの図では説明が不足しているように思ったので、これはもう一度自分で 再確認しなければと、シナアブラギリを探すことにしました。中西先生の発表では、果実の生育状態が良くないシナアブラギリは、果実内での種子数が減り、そ れが丸いタイプの種子となると言う説明がありましたので、そんな果実を探したのです。
 公園に植栽されたものは条件も良かったのか5個の種子が入ったものばかりでしたので、明永久次郎著・「油桐」で紹介されていた福井県若狭町で探すことにしました。そして若狭町の北斜面に植えられていたシナアブラギリを探し出しました。そして、この木の下には多くのシナアブラギリの果実が落下していました。
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 落下していた果実を集め、大きなものから矮小化したものまで15個ほどの果実を拾い集めました。そして果実を割って種子を確認したところ、最も小さな果実には2個の種子が、大きな果実では5個の種子が入っていました。 それらの種子を洗い出し、果肉をしっかり取り除いたら、下の写真のようになりました。
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中西先生の発表されたように果実の中の種子が少ないものは、「カントンアブラギリ」として紹介した丸いタイプのシナアブラギリでした。 2010年からこの秋までに、オレがブログや、漂着物学会・会報どんぶらこ、それに漂着物学会誌で、「カントンアブラギリ」としたものは、シナアブラギリでしたので、ここで訂正させていただきます。
 このように、学会に参加するとまだ論文になっていない情報などが手に入ることがあります。来年は北海道・・・これも楽しみですね。 



            秋の石狩-余市を歩く    鈴木明彦

 10月中旬の漂着物学会徳島大会から戻ってくると、アオイガイがポツポツ来ているとの情報がありました。そこで10月23日に、余市から石狩にかけてのいくつかの浜辺を歩いてみました。秋の北海道日本海側の漂着物を紹介します。
まずは早朝余市方面にクルマを走らせました。アオイガイ採集は先客(カラスやアオイガイハンター)との勝負になりますので・・・。余市湾には、比較的大きな砂浜海岸が2ヶ所ありますが、やはりこちらには先客の足跡(人+鳥)があり、早々に引き上げました。当日の風向きを考えて場所を移したところ、今年第1号のアオイガイを採集しました(写真1)。
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今年はこれ1個かもしれないと思って、おにぎりのプラケースに大事にしまいました(写真2)。
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 もうひとつの地点では、アオイガイはなかったものの無印の浮き玉を拾いました(写真3)。
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これで余市方面を切り上げ、小樽の忍路海岸で穏やかな忍路湾を眺めながら昼食です。北大臨海実験所や海底火山岩大露頭もあり、私にはなじみのある場所です。
さて午後からは、石狩方面へと移動しました。石狩浜は漂着物が少なく、写真を撮って退散です。そして日本海側を北上して、定番の望来海岸へと向かいました。ここで拾うとすれば、やはり鉱物・化石系でしょうかね。
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(写真4)

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(写真5)

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(写真6)
1時間ほど歩いて、石炭(写真4)、巻貝化石(写真5)、めのう(写真6)などを見つけました。石や貝以外では、海獣(トド?)の脊椎骨が二三転がっていました。この日の望来海岸での成果を盛り合わせにすれば、こんなところでしょうか(写真7)。
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実は来年の10月23日!は、漂着物学会北海道大会でビーチコーミングを予定している日なのです。そこで余市から石狩にかけてシミュレーションのつもりで浜辺を歩いてみました。天候に恵まれ皆さんもお宝が拾えることを願っています。

Feom Editor 
 2002年の4月に第一号を発行し、その後も号を重ね、2015年の12月で150号となりました。途中でエキサイトブログを使ったブログ版も作り、これまでやってこれたのはずっと投稿をしていただいたみなさんのおかげです。
 はじめのうちは手書きやワープロに絵や写真を貼り込んでいましたが、今ではそれもパソコンを使い簡単にできるようになりました。また世の中の流れで紙媒体が無くなりつつあります。プカプカ通信も途中からウェブ版を出したときから、紙版ではなくネット上のウェブ版で読まれるとのコトで、郵送を無くした方々もみえます。
 今回、150号まで発行したのを機会に、今後はウェブ版を中心にPDF版あたりも随時出していけたらと、思っております。
 そんなわけですので、原稿も引き続き大募集していますので、そちらもよろしくお願いします。
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by uki-puka | 2015-12-01 18:00 | プカプカ通信 | Comments(0)

プカプカ通信149 ・ Oct-27-2015

          漂着物学会・徳島大会2015    はやししげお  

 2015年の漂着物学会は徳島の右下・海南町で開催されました。前回の石垣大会は忙しくて参加できず、涙をのみましたが、今回は参加できたので様子をお知らせします。   
 海陽町は徳島の果て・・・スグ隣は高知で、徳島駅からは2時間!かなり遠い場所でした。そんなわけで開催前日・10月16日の昼過ぎに徳島駅集合、そしてバスに乗ってゴー!! バス内では、徳島博物館の茨木さんと、観察会代表の池渕さんから、詳しい徳島に関するレクチャーを受けながら南下です。みんなが広げてるのはスポーツ新聞じゃないっす!徳島地図ですから。(笑)
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このレクチャー、雰囲気の違ったお二人の掛け合いが面白く、まさに徳島漫才といったところでしょうか?田舎道を揺られていたところで、途中下車して田井ノ 浜でビーチコーミング!(笑) この浜は夏場に海水浴場としても使われているためか、しっかり浜掃除がされており、この日は漂着物よりも足跡のほうが多かった!(笑) そんなわけで、根性無しのオレは堤防上で休憩していたのですが、中西会長はしっかりと高潮線を浜歩き!さすがです。
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 その後は牟岐町のモラスコ牟岐という貝の資料館を観覧しました。あんまり貝に興味の無いオレは、ハリセンボンの帽子(痛かった)を被ったりしてましたが、一番面白かったのは魚の頭骨コレクションでした。
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 中の展示に飽きたら、すぐ下の海岸へ!みんなも同様に浜に降りてきました。ちょうど時刻も日没間近!夕暮れ時の浜歩きは気持ちよかった! そして、あっという間の日没・・・秋の夕べはつるべ落としとか言いますが、あっという間に浜辺の貝殻が見分けられなくなっちゃいましたね。
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 皆さんの宿へバスが到着した頃にはもう外は真っ暗になっていました。徳島からの長い道のりを飽きさせないように工夫された総会の実行委員のみなさま、ありがとうございました。
 さて、漂着物学会・徳島大会当日・10月17日の朝、目を覚ましたら、同宿の女性陣は誰もいません。田中副会長に尋ねたところ・・・「きっと海さ!」 朝食時に食堂に向かったら、やはり宿の前の浜を歩いた後だったようです。そして、こんなモノがあったとか・・・(笑) 
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 朝食後に浜に出てみたら、真正面からお日様が昇っていました。ここ宍喰は東側が海に面しているのですね。これは普段南側が海に面した渥美半島表浜を歩いているオレには、ちょっと違った感覚でした。 みんなで集合しバスで向かった先は阿波海南文化村でした。
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ここが総会の会場で、同時に漂着物アート展や、「漂着物展」も開かれていました。 漂着物展は「海の観察会」のみなさんがこれまでに集められたお宝漂着物中心の展示がありました。 オレの大好きな玩具の展示もあって大喜び!こうしたジャンク!大好きなので!!(笑) その中でも写真の右上にある戦艦型をした文鎮など、陶片狂さんが大喜びしそうなモノですよね。
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やはり圧巻は濱さんの展示品の数々でした。ビーチコーミングの際にも、その裏技をご披露いただきましたが、ビーチコーミングにかける情熱には頭が下がりました。 
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それにクラフトの工夫もステキですね。ビーチグラスや貝殻を使ったランプなどに注目が集まっていましたね。
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他の方々の漂着物アートも全般的にハイレベルで、こうした作品作りへの情熱が感じられました。
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 さて、総会は、中西会長の挨拶から始まりました。一升展示、ポスターセッションはあまり活気が無かったのですが、販売コーナーは非常に多く、賑わっていました。Yuccas工房の作品にはステキなものがあり、オレもいくつか求めてきました。 
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昼過ぎには、ポスターも増えてきて、ちょこっとカッコがついてきました。それにしても販売コーナーは大人気でしたね。
 午後の基調講演は、ウエルかめ!ではありませんが、元ウミガメ協議会の亀崎さん。オレが質問した2012年にあった日本海側へのアカウミガメ幼体大量漂着事件は、南西諸島のカメがほとんどのようで、産卵数が特に多いわけでもなく、海流の影響があったのではないかとお話されました。 
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基調講演の後は、研究発表!大阪の田中さんの「微笑貝さがしサポート図鑑」についての発表で幕を開けました。 二番手は、徳島のビーチコーミング会の重鎮・池渕さんによる、徳島の浜辺の解説がありました。
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 三番手からは永田さん、オレ、中西会長と愛知出身の発表者が3人続きました。永田さんの発表は、愛知のビーチコーマーの生態に関したもので、「食いわけ・すみわけ・落ち穂拾い・出し抜き」のキーワードを元にして、牧野さんやオレの宣伝をしていただきました。(笑)
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 トリの口頭発表は中西会長で、「これまでにカントンアブラギリといわれていた種子は、シナアブラギリの種子で、果実の中の種子が少ないものを指すのではないか」と言う趣旨のものでした。論文の発表が待たれますね。
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 研究発表の後は、場所を移してのお宝鑑定会!ここでは濱さんとトーマさんとの司会で盛り上がりました。 ここでは、お隣の高知県から来られたNickさんから、ハイブリッドなぼんてんのウキを見せてもらいました。
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楽しい時間が経つのは早いもので、お宝鑑定会が終わった頃には、既にお日様は西の山に隠れておりました。
 総会や研究発表が終われば、夜の懇親会です。田中副会長らと泊まっていた民宿から懇親会場のホテル・リビエラししくいへ向かう頃には、もうあたりには夜の帳が降りていました。 そしてホテルでは懇親会が始まりました。今回は参加者も多く、テーブルもAからKまであり、なかなか会えなかった人との交流やら、新しい出会いが楽しめました。
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開催地が四国と言うこともあってか、お遍路さんの衣装で登場された方も!そして料理はやっぱ伊勢海老!でした!お刺身だけじゃなく、伊勢海老の天ぷら、そして味噌汁は必須ですよね。 伊勢海老との格闘に夢中になっていて、一つ撮り損ねたものがありました・・・それは池渕さんの阿波踊り!フラつくほどの熱演だったようですが・・・(笑)
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 恒例のジャンケン大会、これもトーマさんが司会をされ、盛り上げてくれました。お疲れ様でした。写真の三つ巴の戦いですが、勝者は左端のお姉さん、彼女とってもジャンケン強いです。 
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最後は田中副会長の挨拶で万歳三唱!!次回は北海道の石狩で会いましょう!ということで、締めとなりました。
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 学会の最終日はみんなでビーチコーミングです。窓からは明るい光が差し込み上天気!朝食後に向かったホテル・リビエラししくいには、もうみなさんがスタンバイされていました。濱さんの説明を受け、これから出発です。 
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何と目的地はホテル前の長浜海岸!初日に歩いた浜に比べ、ここは漂着物のにおいがします。それもそのはず、堤防の脇にはウミガメの死体があったそうです。みんなが散らばって、礫浜と砂浜が混じった長浜海岸歩き出しました。 
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そしてやはり暖かい海なのでしょうね。こんなサンゴの骨が礫に混じり転がっていました。 愛知や福井では見ることの無いタガヤサンミナシなど南方のモノが転がっていました。 ただこの海岸が礫浜ということもあり、こうした貝類のほとんどは割れていたり、磨耗で劣化していました。 
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 ビーチコーミングの最中、この日は暑く、体感では30度オーバーでした。そんなわけで日陰を見つけて涼んでいると、みなさん前を一生懸命ビーチコーミングされています。木陰で休んでいたら、品評会が始まるとの召集を受け、暑い砂浜に戻ってきました。フ~フ~!ここでも濱さんが司会を務められ大活躍です。
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 品評会も終わり、記念写真を渡邊さんに撮ってもらい、ビーチコーミング終了です。
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 徳島大会、地元のみなさまや事務局のご尽力で、とても楽しく過ごすことができました。ありがとうございました。 来年は北海道の石狩大会となりそうです。来年はまた北海道でお会いしたいですね。参加されたみなさま、ありがとうございました。
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by uki-puka | 2015-10-27 01:49 | プカプカ通信 | Comments(0)

プカプカ通信148・Oct-5-2015

            せたなの海岸を歩く 鈴木明彦

学生の皆さんと夏の地学巡検で、西南北海道日本海側のソーランライン(余市ー岩内ー蘭越ー寿都ーせたな)を歩いてきました。今回はせたな町の海岸で見つけた漂着物を紹介します。
せたな町は、日本海側に位置する海辺の町です(写真1)。
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初日はせたなの民宿「海の家」に泊まりました。翌日最初に行ったのは、せたなのシンボル三本杉岩が見える浜辺です。三本杉岩の向かいの瀬棚港からは、奥尻島行きの フェリ—が出ています。ここの浜辺ではいくつか赤い餌カゴが見つかりました(写真2)。
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いずれも中はからっぽでしたが。
 海岸線を南下して、鵜泊(うどまり)海岸に行きました。ここには、ホルンフェルスとよばれるマグマで焼かれた接触変成岩があります。この岩石から水晶、ガーネット(柘榴石)、トルマリン(電気石)などが産出します。海岸では、小石の多い礫浜に黄色いワラジ浮きがありました(写真3)。
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鵜泊海岸をさらに南下すると、水垂(みだれ)岬へとたどり着きます。     
 ここには、ホルンフェルスの熱源となったマグマが固結した花崗閃緑岩(みかげ石)があります。海岸では、礫浜に中国系漂着物が打ち上げられていました(写真4)。
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ここで私が注目したのは、フナクイムシが多数穿孔した流木です(写真5、写真6)。
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現在フナクイムシの化石を調べているので、現世の比較試料として、フナクイムシの流木を集めるクセがつきました。
  最後に今回の巡検で採集した盃海岸のアメシスト(紫水晶)(写真7)
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と鵜泊海岸のガーネット(柘榴石)(写真8)
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を紹介しましょう。今度は海岸でサファイアかルビーでも拾いたいものでが、北海道では難しそうです。




              渥美でミラクル    はやししげお


 長く浜歩きを続け、自分では元気なつもりで50代後半を過ごしてきましたが、加齢のせいか、ここ1~2年で身体が思うようにならないことも多くなりました。
 夏休みの最終日・8月31日、年休をとり渥美半島表浜の堀切を歩いた際に、2羽のコアホウドリの落鳥に出会いました。コアホウドリは落鳥を回収してみえる田原市在住の漂着物学会員・W さんに渡して喜んでもらえましたが、この日は回収などで手間取り、堀切一帯5kmほどの海岸線のうち東半分ほどしか歩けてなかったのでした。
 2015年9月5日、最後の夏休みが終わり、新学期も始まって最初の土曜日でした。久しぶりに子供たちの顔を見て、うれしかったのですが、夜家に戻れば夏の疲れが出て、食後はソファーに座ると、そのまま寝てしまうことも多かったのです。けれども堀切をまだ半分歩いてないと言うことで、目覚ましをかけ何とか6時には家を出て、渥美半島に向かうことができました。

    8月31日に回収したコアホウドリ
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    最初のラッキーなジオクレア
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 豊橋市の伊古部に到着したのは8時過ぎ、砂浜に降り立ったところ、東からの飛砂の影響で汀線が埋もれていたのでそう歩きませんでしたが、砂丘脇にジオクレアを見つけてニッコリ!ちょっとしんどかったのですが、来た甲斐がありました。
 その後は谷ノ口も覗きましたが釣り人が列をなしていたし、漂着ラインも埋もれていたので、スルーして10時半過ぎには堀切の残り西半分を歩き出しました。西半分を歩き出す前に、100mほど逆戻りをして、5日前に歩いた自分の折り返し地点を探したら、この5日間、ほとんど誰もあるいていなかったようでスグに見つかりました。漂着ラインもほぼ同じで、大波が寄せてないのも分かったので安心しました。

 堀切の中央からやや西よりに、オレが「うんこ岩」と呼んでいるチャートの岩体があります。ここでちょっと失礼な名前をつけた理由を書かせてください。昔から恐竜が好きで、博物館に出入りしてたので多くの化石を見てきましたが、その中に恐竜の「うんこ」の化石がありました。カタカナで書けば、コプロライトで、北米では多産し、博物館の展示品にもなり、ミネラルショウでは販売もされています。恐竜の排泄物と言うことで、興味本位になりがちですが、化石なのでもう臭くはありません。あと、この化石はシリカで置換されており、カットして磨いた面などは非常にきれいです。こんな糞化石を見慣れていたオレには、その形状と、チャートで出来たこの岩体が、巨大な恐竜のうんこに見えたので「うんこ岩」と勝手に名付けたのでした。

    堀切中央やや西よりの岩体「うんこ岩」
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    9月5日に見つけたコアホウドリの落鳥
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 さて、この「うんこ岩」を目前にしたあたりで、やはり3羽目のコアホウドリをみつけました。やはりまだ残っていそうという予感は当たりましたね。(にんまり・笑) これでもうこの日の目的は達したようなものなので、西へ西へと進もうと思っていたら、足許にドン!と大きな骨が転がっていました。

    久々に見つけた鯨骨
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    こっちも久々に見つけたオレンジウキ5号
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 浜辺に転がっているこのサイズの骨となれば、もう鯨しかありませんね。これだけの骨から持ち主を探すのは難しいので鯨類とだけしておきましょう。ただこの骨は神経孔の大きさなどから、胸椎であったと思われます。海中で磨かれたようですが、まだ自然状態での脱脂は不十分で臭いましたが、せっかくなのでデポして持ち帰りました。
 5日に歩いた高潮線に寄っていた漂着物は、8月29~30日に打ち上げられたと思われるもので、やや時間が経っていたために紫外線などの影響で白化しているものもあり、その代表はルリガイでした。形のきれいな大き目のものだけ拾うつもりでしたが、気が

     白化の進んだルリガイ
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     エボシガイの付着したガラス玉
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つけば、ガラス壜に詰めるほど拾っていました。(笑) 
 さて、しばらく歩いていたら、ガラス壜などがイッパイ打ち上げられているカスプベイがありました。その中にポツンとエボシガイの付着した水色のガラス玉!やったね。でも、それだけではありませんでした。

   渥美半島表浜で15年ぶりに出会ったシリンダー
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 それは渥美半島表浜で15年ぶりに出会ったシリンダー型のガラスウキでした。そう、15年前に見つけたシリンダーもこの堀切でみつけたものでしたから。
 シリンダーは北海道あたりでは、時折拾えるものですが、本州中部ではもうなかなか拾えないガラスウキですので、久々に心臓がバクバクする感じを味わいました。
 モダマやジオクレアと言った海豆類もうれしいのですが、やはりガラス玉に一番オレは反応するのでしょうかね?(笑)それにしても拾えないと思っていたシリンダーが拾えてミラクルと思ったのでした。
 ところがまだまだ続きが・・・(笑)それは渥美半島表浜でこれまでに出会ったことの無い陽物との出会いがありました。

    渥美半島で初めてであった陽物
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    コアホウドリと鯨骨
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 陽物は最初、農作業で豆などを叩いていた木槌かと思いました。ところが、取っ手を見ると「何だこりゃ?」(笑)・・・陽物でした。さて、これはどうしたものか?と一瞬悩みましたが、石井先生ならどうしたのだろうと思えば、即決!持ち帰り、オレのお守りに祀ってあります。かなり西の端まで歩き、石門が見えてきたあたりで砂浜が無くなってきました。残り100mほどなので端まで歩けば、何とまたもや鯨骨と4羽目のコアホウドリ!もはやミラクル以外の何物でもありません。この日、拾いモノが意外に多かったので、コアホウドリの回収は諦め、デポしておきWさんに回収してもらえるように地図に記しました。

    恋路ヶ浜でビーチコーミングするMさん
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    今季初めてのイルカンダ
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 掘切を出て、伊良湖岬に向かい、恋路ヶ浜を歩き出したら東側の浜に人影・・・目を凝らせば、豊橋の学会員Mさん。オレには気づかない様子でジグザグに歩いてビーチコーミング中でした。Mさんに声をかけ、彼が写真を取っている間に落穂拾いを試みたところイルカンダが見つかりました。ちょうど昼時だったのでMさんを誘い、数年前に総会の宿になった伊良湖ホテルの「大漁や」で昼食!コアホウドリの場所を教えたところ、Mさんが回収し、Wさんの許まで運んでもらえました。9月5日、この日は本物のミラクルデーで、この一年の運を使い果たした気分です。
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by uki-puka | 2015-10-05 07:29 | プカプカ通信 | Comments(0)

プカプカ通信147  Aug-25-2015


              徳島県の浜辺    池渕 正明

 みなさま、ごぶさたしております。 徳島の池渕です。今年は秋に漂着物学会総会が徳島で開かれるということで、一足早く徳島の浜辺について少し紹介させていただきます。
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 北から、まずは鳴門の千鳥ヶ浜。2005年9月8日、ここは知る人ぞ知る、鈴木明彦先生がオウムガイを徳島で記録上初めて発見された場所です。徳島のビーチコーマーの羨望の的になりました。鳴門にはあまり海外のものはないと思われいたので、びっくりしました。

続いて南に小松海岸。四国三郎吉野川の河口北岸にあり、全長約1km足らず、我らが「海の観察会」の本拠地であります。年4回会が開かれます。たまにアカ   徳島県の主なBCポイント
ウミガメが上陸産卵し、ミドリシャミセンガイや、絶滅したハイガイが見つかります。そして土器片が上がるのです。2013年には原型のわかる20cmぐらいの弥生土器片が田上浩之氏によって発見されました。とにかく徳島のビーチコーマがたくさん集まります。

さらに南の北の脇海岸。ここは会員の西崎聖二郎氏のfield。彼はここの土器片、陶磁器片を収集し、ひとつの論文にまとめあげました。

そして、鹿ノ首海岸。不肖池淵のfieldです。ここは私が10年にわたって外国製浮子の調査をしたところです。秋の学会で発表をする予定です。またここはアカウミガメの産卵地でもあります。

さて田井ノ浜。ここは、濱直大氏の地元。ある朝清掃員の人がオウムガイを拾いました。
これに発奮した濱氏は、高知県で3個オウムガイを収集しました。田井ノ浜はとてもきれいな浜です。秋のバスツアーで訪問します。

さらに続きます。ウミガメの大浜海岸(日和佐)。そして大砂海岸、ここではマーメイドパース、ルリガイがひろわれています。つぎに、大里松原。長浜海岸(宍喰海岸)ここで、大会時にビーチコーミング会が開かれます。オレンジやブルーのウキもたくさん拾えます。またアカウミガメが上陸産卵し、テトラポットを利用した人工産卵場もあります。

以上徳島の主な浜辺を紹介しました。 では、大会の開かれる「四国の右下」海陽町へいらっしゃい。お待ちしております。




          夏休み子ども教室のビーチコーミング   中司光子

 8月5日、芽室町の図書館から声をかけてもらって、ビーチコーミングの講師をしました。参加者は小学生5年生が5人。その中には唯一の男子で、まだ一度も海に行ったことのないR君もいました。芽室に海はありませんが、1時間半ほど車走らせれば海を見ることができます。
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 朝、図書館に集合した後、十勝川河口の豊頃町大津に向いました。移動時は車中でコミュニケーションを取る会話を楽しみながら、漂着物やビーチコーミングに ついてのレクチャーをしました。参加者の気持ちもふくらみ、「探すぞ~!」という気持ちになってきたようです。R君は妹に「きれいな貝を拾ってきてね」と、 頼まれたそうです。
 芽室や帯広の川は全て十勝川に注ぎ込み海へ出ますので、私はそれを子どもたちに見せたかった。河口の豊頃町大津では、水と一緒に流れてきた川由来のゴミなどが漂着物としてやってきます。移動時間を考え、近くにトイレがあることなどからも、この場所を選びました。ただ、この日の最高気温が35℃と予報されていたので、太陽を遮るものの無い海岸では熱中症も気になりました。
 「さぁ、外国のものを一つは見つけようね、気になったものは袋に入れようね、後でみんなで集まったときにゆっくり見よう」そう言って、ビーチコーミングは始まりました。
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30分ほどビーチコーミングをして集合!砂浜に棒で書いた枠の中に拾ったものを置いてもらいました。自然物では、ウトウやミズナギドリ類の死骸、それに軽石、クルミが多かったです。人工物では、ペットボトルと漁具が多く見つかりました。野球ボールとパークゴルフの球もありました。外国のものでは韓国のミネラルウォーター、アメリカのスプレー式調理用食用油、ロシアの茶色をしたビールのペットボトル、中国の豆型浮き(深緑色)が見つかりました。
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私の見つけた 写真の黒い人形は、砂を払っていたら、頭の中に入っていた砂の重みで首がドサッ…と落ち、私も子どもたちもみんなでギャ~ギャ~さわぎましたが、これがまた楽しかったの~!この人形、目はサファイヤブルー、 黒い体に青い目って!体形は日本の人形に近いものでしたが、指の形や膝の形が微妙に異なり、これまでに見たことのないものでした。もちろん製造国やメーカーを表すものはありませんでした。  
 戻り道、河口にカモメ類が群れて休んでいるのを見つけたR君が「あの鳥のいっぱいいる所へ行ってみたい!いい?」と尋ねてきましたので、「いいよ」と言いました。「でも多分すぐに飛び立つよ」という言葉は飲み込んで・・・。近くまで寄れたので、他の子も追って駆ける駆ける~!
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              そ知らぬ顔で近寄り・・・        
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              一気に駆け寄る


 昼は河口から移動し、港のトイレを使わせてもらい、首に濡らしたタオルを巻き、生き返りました。そして大津港で堤防に並んで腰掛けて昼食となりました。その後は潮の引いたコンクリートのスロープでフジツボ類の観察をしたり、水に入ってきれいな石拾い。そのうち一人の子がメノウを見つけたものだからみんなメノウモードで大変~。引率してくれた図書館の係長さんが声かけても、なかなかあきらめ切れない子どもたち。女子はやはり光り物には弱いですね~(笑)

 さて帰りの車中、一人ずつ感想を聞いてみたので、それを載せておきます。「河口は流木が多かった」「きれいな物は少なく、人が捨てたプラスチックのゴミが多かった」「メノウが拾えてうれしかった」「黒い人形にビックリ!おもしろかった」「海に足を入れて楽しかった。気持ちよかった」「町で捨てたゴミも、海に流れてくることがわかった。自分は捨てないようにする。友達が捨てたらダメだと教える」と言ってくれました。あ~もう何も言うことありません・・・。でも、「どうやったらゴミがなくなるか、大人になったら考えてね」と、 お願いしておきました。 帰りの車中、5人のうち3人は爆睡!お疲れ様でした。

 このイヴェント、私が出来なくなった時のために、マキちゃんにも時間を空けておいてもらい、当日は河口を30分ほど一緒に歩いてもらい助かりました。 みなさんのお助けがあり、無事にビーチコーミング講座が行えました。
R君、初めての海、「楽しかった!また行きたい!」だそうです。
機会があれば、また来年もやらせてもらいたい講座でした。



From Editor:今年の学会は徳島!大阪あたりからは近そうですが、開催地は徳島市からかなり離れた海陽町!アクセスに不安が・・・と思われる方も多いかもしれません。でも、空港に寄る無料バスも出るように聞いていますので、10月16~18日はみなさんと、ぜひ会場でお会いできたらと思っています。ただこの時季は行事が多く、オレも不安要素満載なのですが・・・(笑)
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by uki-puka | 2015-08-25 17:33 | プカプカ通信 | Comments(0)

プカプカ通信146・Aug-2-2015



            1,763個のガラス玉  田中マサヒト

 6月22日「おい、ちょっと来い。」との電話がありました。アポイ岳ファンクラブの会長で昆布漁師の谷村さんからでした。「今、あの小屋壊し出したから~」・・・と。
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             ジオパーク審査時の大正トンネル


様似の山中と言う海岸線に、アポイ岳ジオパークのジオサイト(D4大正トンネルの花こう岩類)という所があります。ここは、明治、大正、昭和、平成とトンネルが並んで掘られています。その大正トンネルが国道だった時の路上に古い漁師さんの小屋がありました。国道だったのは50年ぐらい前で、その当時の写真にはこの小屋は写ってないことから、その後に建てられたものらしいです。
 私はここには、20年以上前から、海浜植物の観察や写真を撮るためによく来ていたので、この小屋の窓越しに中を窺ったりしていましたが、近年使われた気配は無いようでした。中には、木製の魚箱(トロ箱)や化け縄(たこ空釣りはえ縄漁)のザルがいっぱい積んでありましたし、ロフト状になっているところからは、ボンデン旗が見えていただけで、ガラス玉は全く見当たりませんでした。
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                 ありし日の小屋風景


 ところが、5月にちょっと大き目な低気圧が来た時に、小屋が壊れてロフトの部分が落ち、ボンデンなどと一緒に大小のガラス玉がゴロゴロと床に転がっていたのです。
谷村さんに、もしこの小屋を壊す時、ガラス玉を捨てるのだったら欲しいと伝えてあったのです。谷村さんの交渉により戴くことが出来ましたが、壊す業者からはガラスは他のゴミより廃棄の費用が高いので、助かると感謝されました。この壊れた小屋は、本来ならばこのままで朽ち果てそうだったのですが、近くの漁師の方が持ち主に「今月末にアポイ岳ジオパークの世界審査があり、ここに来る予定なので、この壊れた小屋は審査のために良くないので壊したほうがいいよ。」と言ってくれたそうです。
 で、この日は大きな籠に4箱と大玉10個ほどをもらってきましたが、翌日前日と同じぐらいの量のガラス玉が届いていました。う~む「こりゃ~仕分けに時間がかかりそうだ」な~・・・と。
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<調査結果>
総数1,763個(尺二⦅モールド⦆1個、尺玉9個、中11-12cm27個、小7-9cm1,725個、俵型1個)
<陽刻(マーク)>無868個、有895個
「川口」340個 「旭」219個 「3」173個 「D.G」61個 「サの下に一」21個 「〇」15個 「〇の中にシ」10個 「大きなシ」9個 「小さい三方シ」7個 「〇の中にC1」7個 「一」5個「D.GA」5個 「□の中にD.G」4個 「特」3個 「〇の中にセ」3個 「MADE IN JAPAN」3個「2」1個 「□の中に川口」1個 「大」1個 「タ」1個 「〇の中にT」1個 「大同」1個 「〇の中に日」1個 不明3個
という結果になりました。
 今回、マーク有がいつもより割合が少なかったように思います。実は、小の9cmほどの玉には、今風のヒモ(スズランテープをヒモ状にしたもの)がほとんどに掛けられ、それがすべて無印だったのです。全体の中でこれらは、比較的新しい時代のガラス玉だったと思われます。
 マークはやっぱり、「川口」がトップでした。続いて「旭」と定番ですね。今まであまり見かけない「3」が173個と珍しかったです。
 久しぶりの大漁に目も体もへとへとになってしまいました。でも、心地よい汗をかきました。
 我が家のウキウキ小屋は、またまたガラス玉で、狭くなってしまいました~どうしましょうか・・・!       




      台風11号が運んだ膨大なビニールゴミ  はやししげお

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 台風11号が四国に上陸したのが7月16日、その後北上して岡山に再上陸し、日本海へ抜け、17日には消滅しました。渥美半島では、これまで台風後に漂着物が増えたという話は、あまり聞いていません。ほとんどの場合、暴浪が砂浜や砂丘を削って汀崖を作ったり、浜がリセットされ何も無いキレイな浜になった・・・そんな話題がほとんどでした。そんなわけで今回の11号台風通過後も期待せず、通過翌日は週末の土曜でしたが海には行きませんでした。その晩、豊橋の牧野さんから、「夕方1時間半ほど浜を歩いて見つけた遠来モノの種子は、ココヤシ2、モモタマナ6、ククイノキ1、テリハボク1、シナアブラギリ3」と言う知らせに驚き、19日は朝から歩きました。豊橋市内から歩き始め、伊良湖岬目指していくつかのポイントを歩きましたが、田原市の堀切で恐ろしい光景に出会いました。堀切は伊良湖岬から数キロ東に位置していますが、堀切の東側一体は膨大なビニールゴミに覆われていました。
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 後背地脇に車を停め、浜に出てみたら辺りを覆う古びたビニール!ご覧の通り半端な量ではありません。右を見ても左を見ても、ビニール、ビニール、ビニールなんです。あまりの量に、気も動転しました。
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 最初は海外からやってきたものかと思いましたが、よくよくビニールのプリントを見れば日本のものがほとんどでした。それも今のものではなく、ちょっと前、昭和のにおいが残っている感じ!流出元を探ってみたら、興味深い話を聞きました。それは、かって砂丘がゴミ処理場になっており、その砂丘が台風で削られ、埋もれていたゴミが海に流出し、それが流れ着いたものではないかと言うことです。
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漂着していたビニールは光沢が無く、劣化も進んでいますのでその説は納得できます。それにしても情けない場面を見てしまいました。
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by uki-puka | 2015-08-02 03:04 | プカプカ通信 | Comments(0)