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ウキウキ研究会の会報「プカプカ通信」の一部をwebで紹介します。
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カテゴリ:プカプカ通信( 131 )

プカプカ通信163号・May-10-2017

ブックガイド クリスティーン・バイル著 「斧・熊・ロッキー山脈」  
Dirt Work ・Christine Byl 三木直子訳 築地書館    はやししげお
 アメリカの大学を出て、大学院進学までの一種の「つなぎ」のつもりで、ひと夏を国立公園の「トレイルドッグ」と呼ばれる整備の仕事をすることになりました。決して体が大きいわけでもない彼女は、その体力的なハンディを克服し、「つなぎ」で始めたその仕事に生きがいを見出すようになり、モンタナ州と、アラスカ州の国立公園の大自然の中で十数年間、トレイルドッグとして厳しい肉体労働に従事しました。斧の振るい方や、チェンソーのエンジンのかけ方さえ知らなかった彼女は、やがて男性陣を配下に従えるリーダーに成長していきます。その過程を通して彼女は自然と向き合い、さまざまなことを学びました。
 原書の題名は、Dirt Work:An Education in the Woodsとあり、陳腐な「斧・熊・ロッキー山脈」とは意味が違います。また副題にはEducation in the Woodsとあるように、ソローの森の生活Walden:A Life in the Woodsほどの格調高さはありませんが、今風のネイチャーライティングと言えるでしょう。
 私がこの本を目に留めたのも、手にとってページをめくっていたときに見つけた、野性とは何か?と言うところに、ソロー、スナイダー、ディラード、アビーといったアメリカのネーチャー系ライターの文字が並んでいたことでした。そしてトレイルドックに関する描写のディテールが詳細なところも気に入り、レジに向いました。でも、そんなところで、これをプカプカに紹介しませんよ。(笑) こんな描写もありましたので一部抜粋します。
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「五時半きっかりに興味は別のことに移った-ビーチコーミング[浜辺で貝殻やさまざまな漂着物を拾うこと]だ。アラスカ湾に面した沿岸で人気の娯楽である。アラスカ湾の浜はゴミだらけだ。空になったオレンジジュースの瓶、壊れた電化製品、プラスチック文化が生んだガラクタの数々。でもそうしたガラクタに日本の漁船の網についていたガラスの浮き玉が隠れていることがある。アラスカ湾を漂流して、嵐の後に浜辺に打ち上げられた宝物だ。この辺の家のポーチにそれがぶら下がっているのを見たことがある-青、緑、透明のもの。オレンジくらいの大きさのものもあればバスケットボールくらい大きいものもあるし、ときにはフジツボがくっついた網に絡まったままのものもある。実はダンは浮き玉拾いが趣味だった。最初の日の午後、浜までぶらぶら歩きながら、ダンは浮き玉拾いの歴史を説明してくれた。これまでいくつ見つけたか、どの浜で、どの季節に探すと一番収穫が多いか。「一番珍しいのはさ」とダンが説明した。「ローリングピンっていうんだ」。それはホットドッグのソーセージくらいの大きさの、細長い浮き玉で、両端に網をひっかける小さな凹みがある。「ここに住むようになってからずっと探してるんだ、十三年だぜ」
 十分後、私の爪先が砂に埋まったロープの結び目に当たった。蹴ると、青いガラスがキラッと光るのが目に留まった。私はそれを砂の中から掘り出し、細長いそれを拾い上げて砂を払い、ダンに見せた。「これローリングピン?」
 「ウソだろ!」とダンが言った。「ウ・ソ・だ・ロー!!」彼はそれを掴むと私を見、ローリングピンをひっくり返し、私に返して頭を振った。私はあげると言ったが、彼は拒んだ。自分で見つけなければダメなのだ。そんなことは言われなくてもわかった。それ以来私は浮き玉拾いにハマった。
 前の夜の嵐のおかげで収穫は大きく、私たちは三人では持ち帰れないほどの浮き玉を見つけた。戦利品を持ち帰るため、私たちは三人のトレーナーの袖を結んで間に合わせの袋を作った。ローリングピンを見つけたのは私だけ。私は子供の頃、ミシガン州の湖の岸辺で珊瑚の化石を見つけるのが上手かったのを思い出した。見つけると父親が「すごいぞチビ!」と得意そうに叫び、私は照れながら、誇らしさで一杯になったものだった。
 ポーチを造り終わると、私たちは浮き玉を手摺に並べて、太陽にきらめく日本製の曲線を写真に撮った。ダンは、一日の収穫量ではこれまでの最高に近い、と言った。

 こうしたディテールで、公園整備の様子や、トレイルドッグとしての活動、そして交わされる下ネタまで描かれているので、アウトドアに興味のある方なら、楽しんでいただけると思います。



ブックガイド ヨーガン・レール著 On the Beach 1・2 はやししげお

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 みなさん、ヨーガン・レールさんをご存知でしょうか?ヨーガン・レール(Jurgen Lehl)さんは1944年ポーランド生まれのドイツ人で、1971年に来日後に自分のアパレルブランドを立ち上げられました。2000年ごろより沖縄の石垣島に移住され、近年は毎日の日課であった浜辺のプラスチックゴミ拾いで集めた材料を用いた照明作りなどもされていましたが、残念ながら2014年に自動車事故で帰らぬ人となりました。
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 2016年の10月から2017年の2月にかけ、青森県の十和田市現代美術館で「On the Beach ヨーガン レール 海からのメッセージ』展が開催されました。ここでは、彼が作った照明器具やら写真の展示があり、観覧に行きたかったのですが、忙しかったのと、遠隔地ゆえ諦めていました。そんな折に、知人から紹介されたのがこの2冊。この本は写真集です。ほとんどテキストも無く浜辺や漂着物、そして漂着物から作られた照明器具などがモチーフになっています。Vol-1は、石垣島の浜辺や漂着風景、それに照明器具などが載っています。
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Vol-2は何とほとんどが漂着したビーチサンダルです。このサンダルばかりの写真集はスゴい!ぜひどこかで見られることをおススメします。



 石垣島からやってきたガラス玉   はやししげお
   
   4月になりしばらくした頃、石垣島の佐々木さんから小包が届きました。厳重に封をされたガムテープを丸めたらボールができるほど!中のクッションも目イッパイ入っており、これは浮き玉だな~!と思わせる梱包でした。(笑)
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   梱包から出てきたのは、網がけのされた緑色のガラス玉でした。よく見ればガラス玉にはヘソ(シール部分)が無く、直径6cmほどの穴が開いていました。
   佐々木さんにお礼の電話をしたところ、興味深い話がうかがえました。このガラス玉は2005年ごろに小樽へ行った際に、浅原ガラスを訪ねたが工場は操業しておらず、浅原陽治さんがみえ、道路から入った右手にある事務所で壁にかかっていたこの緑色のガラス玉をいただいてこられたという話でした。浅原ガラスでは、雪明りの道で使う運河に浮かべるガラス玉を作っていましたがこんな緑色の玉を吹いていたことは知りませんでしたし、網がけの方法も浅原が今行っている結びでは無かったので、「他のメーカーで作られたものではないかと思う」と私の見解を述べました。
   そして、ちょっと気になったもので、小樽の浅原ガラスで今も浮き玉を吹いている浅原宰一郎さんにも尋ねてみました。
   宰さんによれば、やはり網がけの方法は違うが、直径18cm・六寸の玉で口の切り方や処理の方法など同じなので、浅原で作られたものの可能性が高いとのことでした。
   気になっていたガラスの濃い緑色についても教えてもらいました。現在は蛍光管のガラスカレットを原料にしていますが、以前に炭酸飲料のスプライトの廃壜を原料にしていた時もあったので、この色はそこから来ているのではないかと言うことでした。やはり現場の方のお話は役に立ちます。なお、ロープが写真のように麻系のもので網がけされたものは漁業用ではなく、おみやげ物、ディスプレイ用と考えてよさそうです。



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by uki-puka | 2017-05-10 00:02 | プカプカ通信 | Comments(0)

プカプカ通信162・Apr-10-2017

オレンジ浮き       はやししげお
 この頃では、ちょっと忘れかけていたオレンジ浮きですが、この冬に驚いたことがありました。プラスチック貼り合わせで作られたオレンジ浮きですが、これまでにも陽刻のバリエーションは豊富で、新たなものが出てきたとか、そんなことでは驚きません。(笑) それはホームページの登場です。「オレンジ浮きコレクション」と言う、オレンジ浮きに特化したサイトなのです。そのサイトはここ!Https://sites.google.com/site/orenjiuki/home
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 北海道で集められたオレンジ浮きを表面、裏面ともにきれいな写真におさめて公開してあります。作者に関しては明記してありませんが、「こんなものを見た」の野村さんではないかと推測しています。「オレンジ浮きコレクション」を見ると、よくぞこれだけ多くのオレンジウキが北海道までたどり着いてるものだという感を強く持ちました。対馬暖流恐るべし!なのですが、それだけ多くのプラスチックごみが広範囲に漂流を続け、世界中に広がっている証拠でもあります。オレンジ浮きに興味のある方は、ぜひこのサイトをご覧ください。
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 さてお次は、この冬に若狭や福井の浜で見つけたオレンジ浮きの紹介です。一番上にあるのは欠けていますが、新たな1号浮きです。 下は新たに見つかった陽刻で、これまであった「大」に追加がされたものです。追加された文字のうち「仁兴」は地名と思われ、台湾や香港にもある地名です。もちろん、地名ではないかもしれませんが・・・(笑)最近はオレンジ浮きの漂着も少な目で、あまり注目してなかったのですが、まだまだ使われているようで、新たなバリエーションが出ています。


福井に漂着したポリタンク    はやししげお 
この冬、日本海側のあちこちでポリタンクの漂着が騒がれました。2017年2月17日、島根県益田市の海岸でおよそ250個のポリタンクが漂着したそうです。3月はじめの朝日新聞によれば、島根県内だけでも2300個超のポリタンクが漂着しているそうです。3月3日付けの富山県ニュース・リリースによれば、富山県内では2個とのことですが、他県の情報もありました。石川県:962個(3/2)、福井県:81個(3/2)、新潟県:137個(3/2)京都府:229個(3/2)、兵庫県:154個(2/27)鳥取県:358個(2/28)、島根県:2,115個(2/28)、山口県:2,064個(2/27) ポリタンクの漂着が多い県では、数千個と言う数が漂着しているのですが、この時点でも福井県では81個との情報でなぜか少ないのです。ただ、定量調査を行わず、感覚的に見ると、この福井の81と言う数字は、やけに少ないもので、漂着物の中に含まれる割合などから見ても、少なくともこの2~3倍はこの時点で漂着していたと思われます。ただこれは取り立てて多いのではなく、例年並みという感じでした。
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 3月18日、調査で若狭地方の海岸を歩きました。この日、廃炉問題で話題になっている高速増殖炉・もんじゅの見える敦賀市白木の浜に降り立ったところ、波打ち際に漂着したばかりと思われるポリタンクの姿が見えました。数えてみれば青17、グレー3、白3、黄色1の合計24個。白木の砂浜はおよそ200mありますので、これは単位あたりでも多い数になりますね。 次に歩いたのは礫浜と磯がつながる美浜町の弁天崎、ここはおよそ150mほどの範囲に青のポリタンクが12個確認できました。
 最後に歩いたのは美浜町の久々子海岸、ここでは浜掃除の行われていないおよそ400mの範囲を歩き、青32、白15、黄色7、緑7、グレー2、赤1、黒1、の合計65個と非常に多かったです。三箇所の合計は101個となりました。 また、10mあたりの漂着数は、白木・1.2個/10m、弁天崎・0.8個/10m、久々子・1.63個/10mで、そして全体では1.34個/10mでした。
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 4月1日、ポリタンクの多かった久々子海岸に行ったところ、ポリタンクなどの大きなプラスチックゴミは集められ、ネットがかけられた状態でした。日本海だけではなく海ゴミの問題は大きな世界の問題でもあります。今のこの状況は、この先どうなるのか、全く不透明で先の明りが全く見えません。
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by uki-puka | 2017-04-10 18:56 | プカプカ通信 | Comments(0)

プカプカ通信161・Feb-20-2017

  石井先生の仏壇に手をあわせてきました  はやししげお 

 去年の5月30日に福岡の石井忠先生が亡くなられました。葬儀の連絡は入りましたが、まだ仕事の忙しい時季で、弔電と香典を郵送しただけで参列はかないませんでした。そしてこの1月に、九州大学の清野聡子先生から、福岡の糸島でビーチコーミングの講演をして欲しいと頼まれました。福岡と言えば、石井先生のお膝元ですから漂着物の好きな方も多いはず。せっかくなので石井先生から渡された「漂着物の布教のバトン」を誰かに伝えられたら・・・とお引き受けすることにしました。糸島の海岸を案内して頂き、その翌日に糸島市でおよそ80名の方に来ていただき講演をすることができました。
 講演翌日、清野先生、石村さん、坂本さん、脇さん、それに私の総勢5名で、石井先生のお宅を訪問することができました。
 石井先生宅では、奥様の静子さんが我々を迎えてくださいました。奥様のご様子も気になっていましたが、お元気そうで一安心。訪問する我々のためにフルーツケーキを焼いて歓待して頂き、恐縮してしまいました。
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 石井先生のお家は、浄土真宗で法名は釋海忠というシンプルなものでした。奥様の許しを得て、仏壇から取り出し写真を撮らせていただきました。先生が亡くなられ、お家にも変化があると思っていましたが、驚くほど変化が無くほとんど前のままで、石井先生がふと出てこられても不思議の無い雰囲気でした。お位牌を手にとり、抱きしめ、やっとお別れを告げることができました。
 
福井県嶺南部プラスチック製飲料水容器漂着調査    はやししげお

 福井県敦賀市と西に隣接する美浜町は、若狭湾に面する海岸があり、夏場には海水浴場として知られているが、冬季には閉鎖され、訪れる人は釣り人や海を見に来た観光客などで、その数は少ない。敦賀市と美浜町は若狭湾の奥に位置しており、北西の季節風の卓越する冬季には、風圧流と吹奏流によって漂着した軽いプラスチック類を中心とした漂着ゴミが多く見られる場所でもある。2017年2月4日、快晴で風も弱く、最高気温も11度と安定していたので敦賀市と美浜町の8箇所の海岸で調査を行った。

調査方法
 海岸で漂着物の多い打ち上げ帯に沿って歩き、ラベルが残り生産国が判明しているペットボトル、プリントが鮮明で生産国が判明しているコップ型コーヒー飲料容器の個数を100個目まで数えた。どの海岸にもこうした容器は大量にあり、生産国が判明した数は100以上に上がったが、100個目までとした。またラベルが外れたり、プリントが不鮮明で生産国の判別が難しいものは除外したが、その数は、判別できたものの3倍以上あった。
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調査した容器の一例(松原海岸)



調査地概要
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 調査した敦賀は福井県の中央部にあたり、敦賀以西が嶺南と呼ばれ、かっては「若狭」という地域区分にあった場所である。また沈水地形によってできたリアス式海岸が続く。
 調査地点はどの海岸も、北~西側が海に面しており特に冬季は風の影響を強く受け、漂着物の多い場所である。
 東側が海に面した海岸には漂着物が顕著ではないので、この調査では省略した。
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1敦賀市杉津横浜
 陸けい島の杉津の東側に広がる浜で、国道8号線からわき道に入る場所となる。
 西側の杉津から、横浜を過ぎ、東側の大比田までおよそ1kmある。
 海岸の沖合いには離岸堤が設置されている。
 海岸の西側は泥質な傾向が強い。

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2 敦賀市五幡
 国道8号線に沿った浜で、非常にアクセスがよい。日本の製品がもっとも多く、道路側から投棄されたものが多いと思われる。この浜への流入河川が2本あることも日本製品の多さに関係していると思われる。
 泥質な砂浜傾向があり、浜の斜度も緩く、非常に多くの漂着物が集まる傾向がある。
 海岸の沖合いには離岸堤が設置されている。

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3 敦賀市鞠山
 国道8号線からわき道に入った場所にある海水浴場で敦賀の市街地から間近である。
 この場所は敦賀から最も近い海水浴場であり、駐車場の広さや収容台数も多く、夏場には海水浴場で賑わうが、冬場は駐車場の多くが閉鎖されている
 海岸の沖合いには離岸堤が設置されている。
 泥質な海岸であるが一部養浜で白砂が入っている箇所もある。

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4 美浜町ダイヤ浜
 県道沿いの浜で、県道脇に駐車しやすく冬場にはサーファーが多い。道路側から投棄されたものも多いと思われる。
 この時季には写真にあるようなホンダワラ類の漂着も多い。ダイヤ浜の南部には岩礁もあり、巻貝の漂着も目立つ浜である。
 基盤岩の花崗岩が風化したマサ土が海に注ぎ込み石英や長石を含む砂礫からなる海岸である。

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5 美浜町水晶浜北
 県道沿いにあるが、駐車台数は限られ、使う人は少なめである。また道路から汀線までは20mほどあり、道路側からの投棄は少ないと思われる。
 この浜の北側には花崗岩の岩帯があって西側の海に向けて突き出す自然突堤となり、その根元には漂着物が集積する傾向がある。
 基盤岩の花崗岩が風化したマサ土が海に注ぎ込み石英や長石を含む砂礫からなる海岸である。

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6 敦賀市白木
 敦賀半島の北に位置し、観光地ではないために冬季訪れるのは釣り人ぐらいである。そのため陸からの投棄は少ない。また浜の北側が海に面している。
 敦賀半島の先端に位置しているため沖合いの漂着物が他の場所よりも早く漂着する傾向がある。
 基盤岩の花崗岩が風化したマサ土が海に注ぎ込み石英や長石を含む砂礫からなる海岸である。
 海岸の沖合いには離岸堤が設置されている。

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7 美浜町城ヶ崎
 敦賀半島西側の海蝕崖下に位置する。県道脇の浜ではあるが、駐車スペースもほとんど無いので、道路側からの投棄は少ないと思われる。
 このあたりには中生代の堆積岩と変成岩からなる磯が続き、砂浜は無い。
 位置的に大型の漂着物が流れ着きやすい場所で、2017年1月にも北朝鮮の木造船が漂着した。

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8 美浜町松原
 国道からは離れているが、浜の脇に堤防道路が走っている。ただ冬季に浜を使う人は釣り人と散歩の地元の方ぐらいである。
 若狭湾の最も奥に位置する海岸の一つであり、自治体により冬季も重機を用いた浜掃除が行われる場所である。この浜の東側に流れ込む耳川によって運びこまれた砂と礫からなる海岸である。
 海岸の沖合いには離岸堤が設置されている。
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まとめ
 2月4日の調査では、8ヶ所で合計800本のサンプルを確認した。全量から見ると、日本製が352個・44%と最も多く、続いて韓国製が239個・30%、中国製が193個・24%、ロシア製が13個・2%で、その他の国ではシンガポール、タイ、ベトナムからそれぞれ1個ずつ確認できた。
 当然のことながら日本製の数が最も多かった。その要因の一つはアクセスの良い海岸や、河川の流入する場所に日本製が多く見られ、国道のすぐわきにあり、小さいながら二本の河川も流れ込む敦賀市五幡海岸では日本製が60%を上回った。また都市部から離れた半島の先端部にある白木では日本製が30%未満となった。
 日本製が多く見られた二つ目は、経時変化によるラベルやプリントの退色劣化や、ラベルの破損による識別不明がある。今回カウントできなかったラベルの無いものやプリントの不鮮明なものはカウント数の3倍以上あった。漂流時間が短い生産国での調査につき、日本製のカウントが多くなる傾向があると思われる。
 外国製品の中では最も韓国が多く、身近な隣国でもある所以であろう。次に多かった中国であるが、調査地点においては韓国よりも優位に立った地点が二箇所あり、今後も動向を見守りたい。ロシア製品は2%と少なく、この地域では稀な漂着物と言えるだろう。





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by uki-puka | 2017-02-20 20:44 | プカプカ通信 | Comments(0)

プカプカ160・Jan-30-2017 

             漂着物考       池淵正明
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 わたしの大学院時代の恩師、鹿児島大学名誉教授田口一夫先生から 、「海が運んだジャガイモの歴史」(梓書院)という著書をいただいた。南米アンデス原産のジャガイモが、コロンブス以降ヨーロッパに運ばれ、オランダ東インド会社を経てインドネシアにたどりつき、やがて日本にもたらされたという話を、その膨大な知識と調査、考察によって書かれた本である。その中でとくに気をひいたのは、多数の航海地図であった。地図をみていると、自分も船に乗っているように思われた。そこでわたしも世界海流図を広げて、日本から出発した漂流物がどのように広がって行くか想像してみた。
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    海流図 茂在寅男著「古代日本の航海術」小学館1979年から引用


まずは、房総沖の黒潮に乗って東に向かう。やがて北アメリカのカリフォルニアに達する。ここは、かって林重雄さんが熱心に話しておられた、ガラス玉の漂着地だ。またアカウミガメの生育地でもある。やがて、この流れ、カリフォルニア海流は南下し、西へ向かう北赤道海流になる。いわば太平洋をぐるぐる右回りにまわっているわけだ。
ちなみにこの右回りは、コリオリ力による。コリオリ力は地球の自転によって起こる力で、北半球では海流を右向きに引っぱる力がはたらく。したがって、右回りになる。南半球では左向きの力になる。
さて、この北赤道海流の下に東へ向かう赤道反流が流れており、南米沖に向かう。その下に西に向かう南赤道海流が流れている。左まわりの出発点である。日本の漂流物は、これをうまく乗り継いで、南赤道海流に乗ったのではないかと考えられる。この海流、かってハイエルダールがイカダぶねのコンチキ号にのって、南米から南の島に漂流した道だ。大洋を渡る、壮大な旅だ。レイチェルカーソンが「海」という本の中で、木切れに乗ったカニが海を渡ることを書いている。これも同じことだ。
やがて南赤道海流はオーストラリア東岸に達する。その下には、南極大陸を東に一周する 海流がある。世界一周をめざす多くのヨットマンが、この流れを利用して航海する。ところで、南極といえば、アムンゼンを思い出す。フラム号に乗って南極にたどり着き、初めて南極点に立った人だ。またそのフラム号からは、フリチョフ・ナンセンを思い出す。ノルウエー の人で、北極海を通って流れてきた漂着物をみて、北極探検を思いつく。そして氷に挟まれても押し潰されず、その上に乗るように、お椀型の船を作る。それがフラム号だ。何年もかけて探検から帰ってきたナンセンは、フラム号をアムンゼンに譲る。そして南極点へ。
話がそれたが、日本製漂流物は、この南極周回海流に乗って、南米のホーン岬沖に達する。Cape Horn、海の難所であり、ヨットマンのあこがれの地だ。荒天のため古来何百隻かの船が沈んでいる。しかしヨットマンはここをめざす。
さらに、流れはアフリカの喜望峰沖を通り、オーストラリア東岸に帰ってくる。そしてこれで終わりである。上に向かう流れがないのだ。
わたしのたわいもない夢想もここで終った。またいつか太平洋の話を書こうと思う。コタツに首を傾けて、ウトウトしてる。外は木枯らし。明日はこの冬一番の寒気がくるらしい。ではみなさん、おやすみなさい。


         今季の北陸     はやししげお

 あけましておめでとうございます! 早いもので2017年1月も折り返しを過ぎてしまいました。そして私も61歳の誕生日を迎えました。ちょうど一年前に還暦を迎えましたが、それからの1年の早いこと、早いこと。
 この冬はかなり暖冬傾向が強く、2016年の11~12月については驚くほどの漂着物の少ない若狭地方でした。特に前の年はアオイガイの大量漂着がありましたが、今季は無いので余計に何も無く感じてしまいました。
 もちろん何も寄っていないわけではありませんが、流木やゴミと言ったいつもの漂着物さえも少なめ、これはやはり海の荒れが少なかったのが大きな要因でしょう。冬場、ゴミならいくらでも寄ってくる美浜町の松原海岸、ここでは2016年のうちは寄りが少なく、年末になっても、11月19日に訪れたときとほとんど変化の無い様子でした。高潮線に打ち上げられていた特長的なゴミはそのまま残っている状態で、ほぼ一月間大荒れの日は無かったようでした。 
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 敦賀半島の先端にほど近い白木は、日本海に半島が突き出している分、外洋モノが届きやすいのですが、ここでもいつもに比べモノは少なめでした。やはり荒れによる吹奏流や風圧流の影響が弱く、軽いペットボトルや発泡スチレンが多く打ち上げられていました。アオイガイは何とか一つ見つけることができましたが、去年とは比べ物にならない様子でした。
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 若狭地方の浜は、沈降地形のリアス式海岸が卓越し、河川の河口部や花崗岩の風化したマサ土が運ばれたあたりに砂浜を形成しており、大規模な砂浜は少ないのです。若狭地方では、敦賀半島西側の水晶浜一帯(1.5km)、美浜町の和田~久々子一帯(2.5km)、高浜町の和田(2km)、三松一帯(2.5km)くらいしか、歩いた気分になる砂浜が見つかりません。もちろん、ポケットビーチにも面白いところはありますが、何せ狭い!歩く範囲がすぐ見渡せるほどですから。
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 1月になり、寒気団の南下もあり、2016年の11~12月にかけてモノの少なかった浜辺にも多少はモノが増えてきました。1月5日には水晶浜の南にある菅浜の岩場に木造船が打ち上げられました。6日に海上保安庁の調査も入り、ハングルの記入もあったことから北朝鮮の船と考えられています。
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 美浜町の松原海岸でも低潮線に漂着物が打ち上げられ、漂着帯をつくるようになってきました。ゴミが多く集まった漂着帯には、ホンダワラ類などの海藻類も混じり、海の中では春へむけた生物の営みを感じることができました。またこの漂着帯の中から、韓国製のガラス玉も見つかりました。このガラス玉は、ハングルの表記などはありませんでしたが、ガラスの色やヘソのシール方法などから見て韓国製と判断しました。またサイズはイレギュラーな直径96mmのもので、あまり見かけないサイズでした。
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 From Editor: プカプカ通信、不定期ですが細々と発行を続けています。みなさんからの原稿をお待ちしていますので、今年もよろしくお願いします。






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by uki-puka | 2017-01-29 23:26 | プカプカ通信 | Comments(0)

プカプカ159 ・ Nov-30-2016

          小樽・浅原硝子訪問記      はやししげお

 2016年10月、漂着物学会北海道大会が札幌で行われました。北海道には今でも小樽で浅原硝子の浅原宰一郎さん(以後・宰さん)が浮き玉を吹いてみえます。漁業用の浮き玉はもう浅原硝子でしか吹かれていないようで、先代が亡くなられ宰さんがその意思を受け継がれてからは、応援していました。そして今回、ゆっくり訪問したいと思い、宰さんの都合を聞き、10月24日午前に再訪することができました。
 当日は2006年のえりも大会で先代の浅原さんに聞き取りをして発表された芽室の中司さんもご一緒してもらいました。敦賀のKinさんも誘ったのですが、前日のビーチコーミングで足を痛められご一緒できませんでした。
 小樽駅前から天神行きのバスに揺られて10分少々、天満宮下で下車すれば、前回来たときと大きな変化は無いように見えましたが、浅原硝子の奥のほうには高速道路が出来るようで、既に高架の工事は始まっていました。ただ、あたりの紅葉は見事で、まだ林床には二日前の雪が残っていました。 
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 小さな変化といえば、近くの交差点あたりにコンビニができたことくらいでしょうか?浅原硝子製作所の看板や、あたりに吊り下げられた網がけした浮き玉など雰囲気は変わりません。
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 道路わきの事務所を覗いたのですが返事が無かったので、奥にある作業場の方へ向かいました。作業場の扉を開けて声をかけると、宰さんが待っていてくれました。
何でも朝一番で、学会員の石村さんらが訪問されたそうでした。作業場には宰さんともう一人、モユルさんがおられ、モユルさんは暖かい溶解窯の近くで網がけをされていました。そして、作業場内のレイアウトですが、以前と大きく変化はありませんでした。
 以前は原料としてビン類などの廃ガラスを使われていましたが、それに取って代わったのは蛍光管です。蛍光管は色などにくせが無く、扱いやすいそうです。あと、徐冷窯と溶解炉の奥には、出荷前の浮き玉が、所狭しと置かれていたのが印象的でした。
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やはり実際に浮き玉を吹かれている宰さんとの話は面白くて、きりがありません。(勝手に面白がっていたのは オレだけでしょうが)昔3人で吹いていたころは小玉(直径7cmほど)を8時~5時の一日でおよそ1000個ほども吹いていたことがあったそうです。また尺五玉(直径45cmほど)は、ガラスの重量が8kgほどになり、もう今では吹くのが難しいそうで、尺二玉を毎日吹いていた頃なら吹けたそうです。ちなみに尺玉なら、一日におよそ90個ほどは吹けたそうで、単純計算でも3人で吹けば90×3=270で、1日に270個も吹いていたことになりますね。
 
 さて、今回の浅原硝子訪問にはもう一つ目的がありました。それは前に見ていた鉄製のシリンダー型の使い方を教えてもらいたかったからです。球形のガラス玉に比べて、シリンダー型は数も多くなかったようで、それは漂着するガラス製浮きの割合を見ても分かるところです。
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 浅原硝子に現存するシリンダー型は、上の写真に示した大小2種類のものです。どちらもヒンジ部分と取っ手部分とがあり、二人がかりで仕事をしないと作ることの出来ないものです。
 
 それでは、教えて頂いたシリンダー型ガラス浮きの作り方を説明します。まず、シリンダー型を分厚い鉄板の上に立てておき、その近くに少し高い台を用意します。この台の上に乗ってシリンダー型の上から吹くことになります。用意が出来たら細長く切った2枚の新聞紙を水で濡らし、型の内側に貼り付けます。
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 この新聞を入れる理由を宰さんに尋ねたところ「新聞紙は滑らせる為に使いますね。紙と油性インク?がいいのかな?燃えてカーボンになり、滑り易くなりますね〜!」と返ってきました。納得です。これで準備は大凡出来ました。
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 ここまで来たら、吹き竿に溶解炉で真っ赤に溶けたガラスの種を巻き、型のサイズに合わせて細長く吹き、左側の写真にある状態になったら取っ手を引き寄せて、型を閉じます。閉じたところが右側の写真です。型を閉じたら右手の位置までに左手を持ってきて、両手の平をすり合わせるようにしてサオを回すのです!
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 そうして吹き上がったシリンダーは吹き竿から切り離して、シリンダーを立てられる容器の中に入れて、へその部分に融かしたガラスを貼り付け、シールボタンにします。2008年から浅原硝子製造所でつくられた浮き玉には「浅」という文字が入っており、そのマークをキレイに入れるために、シールボタンはバーナーで再加熱してからマークを押すようにしています。こうして作られたシリンダー型ガラス浮きは、徐冷窯でおよそ一日ほど冷やされて完成です。
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 浅原硝子の工房では、使い終え役目を果たした坩堝が置いてありました。その中を覗くと、やや黄緑みを帯びたガラスが底に溜まっていました。以前はこうした底に溜まったガラスはガラス壜などのリサイクルガラスを使っていたために、コバルトブルーのまさに瑠璃色をしていたわけですが、蛍光管を素材に使われるようになってからは、底に溜まる色が変わってきたようです。
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 浅原硝子の工房を訪ねて思うことは、この工房も大量生産の場所ではなく、さまざまな注文に応えることのできる場所と言うことでした。浮き玉のサイズにしろ、それに対応できる様々なサイズの輪が用意してありますし、様々な色に対応できるように色ガラスの用意もあります。こうしたオーダーメイドのできる工房は、経営上難しい局面もあるとは思いますが、これからも浮き玉の火を絶やさず吹き続けてほしいと思っています。
浅原硝子製造所   http://www.asaharaglass.com/ メール:info@asaharaglass.com
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by uki-puka | 2016-11-30 23:27 | プカプカ通信 | Comments(0)

プカプカ通信158 ・ Oct-30-2016

       漂着物学会総会・北海道大会 2016   はやししげお
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 2016年10月22~23日にかけ、札幌にある北海道博物館で漂着物学会総会が開かれ、ビーチコーミングは望来海岸で行われました。今回も口頭発表があり参加しましたのでその様子を写真をそえてお知らせします。

 札幌には前日の21日に入りました。天気予報では週末にかけて冷えると聞いていたので、ある程度の覚悟はしていました。名古屋を発った飛行機が津軽海峡を抜け太平洋上から、新千歳空港に近づき着陸態勢で高度を下げれば、紅葉の大地が見えてきました。色づいた大地のコートを見て、喜んでいられたのは海岸よりの地域だけした。内陸側は雪に被われ、新千歳空港で降りれば一気に冷気に包まれました。慌ててトイレに駆け込みフリースを着込み、下着も追加しましたが寒い!(笑)
 札幌駅でJRを降り、外に出れば頭が痛くなるほどの寒さでした。そんなわけで駅構内のモンベルまで戻って、暖かいフリースの耳まで隠れる帽子を購入しました。旅の間は、このフリースのおかげで何とか風邪もひかずにすごせました。
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 札幌では深雪の積もった北大博物館を見学してきました。今年リニューアルが出来上がったそうなので見てきたわけですが、そんなに大きな変化は見られなかったように思いました。

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ただ展示物の中で、漂着物では本体しか見たことの無い気象観測に使われるラジオゾンデの各パーツと、海底での地震探査に使うベントスの中に収められた海底地震計を見ることができたのは収穫でした。


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 22日は新札幌からバスに乗り換え、会場になった北海道博物館に向かいました。そこでは漂着物学会総会にあわせて、漂着物展も開催されました。北海道ではこれまでに大規模な漂着物展と言えば、2008年8月に田中さんの主導で様似町中央公民館文化ホールで開催された様似郷土館の特別展「北海道大漂着物展」がありましたが、それ以来のものですね。今回は開催場所が北海道博物館と言うことで、漂着ジオラマに寄せられた細かな流木一本まで燻蒸を施したそうですので、ご苦労も多々あったことでしょう。
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 北洋漁業で栄えた北海道では多くの浮き玉が作られ、使われてきました。そうしたものは一朝一夕では集まりません。北海道の学会員のネットワークがあってこその展示物です。写真のお二人は、前回の北海道大漂着物展の立役者である田中さんと、今回の担当者の圓谷さん。きっと田中さんはバトンを若者に渡して満足されたことでしょう。こんなお二人が浮き玉を前に談笑されているのを見て、何だか胸が熱くなりました。
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 この北海道博物館の漂着展は、北海道在住の漂着物学会員から多くの標本を借り入れて行われたもので、これだけの漂着物を一堂に見る機会はまず無いでしょう。そんな意味でも11月27日まで会期がありますので、多くの方々に是非見ていただきたい展示です。
また前回の北海道大漂着物展では、田中さんが展示物の写真をカタログ代わりにブログでアップされていますので、今回も何かの形で残してもらえれば嬉しいですね。
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 さて、漂着物学会は今年亡くなられた初代会長の石井忠先生への黙祷から始まりました。ポスターセッションや、一升展示の会場には、石井先生追悼コーナーも設けられ、会員が思い出の品や追悼文を持ち寄りました。福岡県の学会員・石村さんは石井先生のお宅から、先生が大切にしてみえた「漂着仏」を借りてこられました。大切な「漂着仏」ゆえ、ずっと手に持って運ばれた石村さんのご苦労が偲ばれました。これを拝んだら、何だか石井先生がそこにおられる気がしてなりませんでした。
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 サクサク進んだ総会の後、昼食を挟んで午後からは基調講演と研究発表とが行われました。
 基調講演はストランディングネットワークの松石さんで、漂着鯨類の報告が、鯨やイルカの生態究明に役立つと言う話をしていただきました。その後は研究発表でアオイガイ関連2題、久保田先生の白浜の漂着物、海岸砂と河川流域の地質、そして鈴木先生のテレドなどの地学関連の研究発表がありました。発表の後は、同じ会場で、持ち込まれた漂着物の鑑定会が行われました。骨もあれば、北海道ならではの浮き玉、それに北方系の貝類が鑑定会には持ち込まれ、鑑定されました。今年は販売はありませんでしたが、ポスターや一升展示も北海道からの参加者が多く盛り上がりました。
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ポスターセッション、現在ではパソコンで作りプリントアウトの形式が多いのですが、
昔は手書きでした。どうもジジイのオレは手書きのポスターが好き!(笑)安松先生や、のらさんの手書きのモノを見ると安心できます。
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一升展示では、一升の意味を誇大解釈した大風呂敷・岩崎さんの道北ビーチコーミングが楽しかった!!
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 閉会後はホテルエミシア札幌に会場を移して交流会が始まりました。どのテーブルも漂着談義に花が咲きました。今回は縄文太鼓が盛り上げてくれましたし、恒例のじゃんけん大会も無事終了いたしました。
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 10月23日、日曜日には札幌の市街地からおよそ30kmほど北に位置する望来海岸でビーチコーミングが行われました。国道を離れ浜に近づけば、風やソルトスプレイなどの影響で、高くまで成長できず矮小化したカシワとギンドロが見られ、浜辺が間近なのを感じさせてくれました。大型バスは舗装路から、「こんな道に大型バスが入れるのか?」と思える凸凹道を進みました。けれども道のど真ん中に大きな水溜りがあり、そこでバスはストップとなりました。
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鈴木先生の説明後、鈴木先生率いる化石グループと、志賀さん率いるビーチコーミンググループに分かれました。オレは化石グループに参加しようか?ビーチコーミンググループに参加しようか?非常に悩みました。だって小学生の頃からの化石少年でしたからね。でも、水たまりで靴を濡らすのがイヤだったので、ビーチコーミンググループを選びましたよ。けれども、どっちのグループでも靴は濡れる運命でした。(笑) この日の海岸、オレの時計の計測では気温7度、それに風も5mほどあったので、体感気温は2~3度でした。それでも全国から集まったビーチコーマーたちは、黙々と海岸線に沿って好みのラインを歩き始めました。
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覚悟はしていましたが、最高気温28度ほどの名古屋から来た体に寒さは堪えますね。海水温も下がり、アオイガイが揚がっても良さそうな季節ですが、残念ながら出会うことはありませんでした。もちろん遠方からの漂着物もありましたが、ライターを手にすれば011で始まる札幌あたりのモノ・・・やはり流出源からはそんなに離れていないモノが多いと感じました。
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 この浜でオレが気になったのは、子供用の下駄でした。のらさんに聞いてみたら「ぽっくり」と言ったそうです。このぽっくりは、底の凹んだ部分に鈴をつけ、歩くと音がして、子供の頃お祭りの日に履くのが楽しみだったそうです。そしてこの日は全く違うサイズのぽっくりが4つもビーチコーミングで見つかり望来海岸は「ぽっくり浜」となりました。あと日本海側に多いプラ製のタコ箱も見つかりました。
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 ビーチコーミングの方に参加したオレですが、歩いていると寒くてかないません。そんな時、東側に見える海蝕崖方面を見れば、鈴木先生率いる化石グループがはるか向こうを歩いています。あそこまで走ればきっと温まる!そう思ったオレはすぐさま駆け出していました。(笑)やはり走れば体はスグ温まりますね。小走りに駆け出し、およそ10分ほどで追いつきました。もうそこでは崖下に座り込んで懸命にハンマーを振るう人がいたり、崖をたたく人もいたり、BCではなく完璧な化石採集です。
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 ハンマーを持っていかなかったオレは、転がっている化石を探すことだけに集中しました。何とか手に入れたのは手に持っているエゾボラ類と、二枚貝のキャスト、どちらも外の殻は磨耗して中の砂が固まっただけのモノですが、ビーチコーマーにとってはこちらの方がうれしいですね。
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 今回の北海道大会は規模が大きく、札幌周辺だけではなく、全道の会員が力を合わせて成功させた総会だと思いました。開催に関わられた北海道の皆さんと事務局の方々にお礼を申し上げます。
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 最後になりましたが、このほど北海道教育大学の鈴木先生が素敵なビーチコーミングの本を著されました。若宮明彦の名で詩作を続けられている鈴木先生ならではの本で、それぞれの章の扉には、古典から引用した章にふさわしい「言葉」が散りばめられています。まだ手にとってみえない皆様にオススメします。この本はアマゾンで入手可能ですので、気になられた方は、ぜひポチしてみてくださいね。
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by uki-puka | 2016-10-30 21:11 | プカプカ通信 | Comments(0)

プカプカ通信157・Oct-20-2017

   この夏に渥美半島で拾い上げたプラ浮きたち   はやししげお

 2016年9月、台風や大雨により各地で風水害が多く発生しました。名古屋でも9月の30日間で、何と17日間も降雨があり、これは梅雨時の6月の降雨日を軽く超し、降水量でも6月の218mmを超えて9月は299mmとなりました。そしてこれは7月と8月との降水量合計よりも多い数値となりました。
 プカプカ通信156号では、台風13号が運んでくれた漂着物の速報をお知らせしましたが、今号では、南のモノが少なかった7~9月にかけ、渥美半島表浜で拾い上げたプラ浮きの話題をお届けします。興味深い南方のモノがあれば、そうプラ浮きに目が行かないのですが、モノが少ない夏でしたので、いくつか拾い上げてみました。
 最近の傾向では、青いプラスチック素材を用いた紡錘型の浮きの漂着が非常に多く、一時は多かったオレンジ浮きを数では追い抜いてしまいました。本来なら、それを調査しなければいかんのですが、量の多さに閉口してしまい、数が減少傾向にあるオレンジ浮きを拾っていたのでした。ただ拾うといっても、定量的なものではなく、あまり見かけなかったものを中心に拾っています。 
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A・まずは、小型の刺し網浮きを紹介します。この浮きは6センチほどの小さなもので、表面には「万事如意」そして反対側には「集丰・Jifeng」とありました。万事如意のある中央には円形の中に帆船と「5」が入っており、これはきっとオレンジ浮きなどの5号を意味するものでしょう。浮子綱には直径が1mmほどの黒い編みナイロン、目通しには0.6mmのナイロン、そして一部ついていたのはモノフィラメントの網でした。この浮き
は黒のプラスチックを使っていますが、同じ陽刻のもので白い浮きも確認しています。あと、これは一体成型で作られたものです。
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B・これはお馴染み、中央の歯車の中にマル優の入った雄華塑料廠のオレンジ浮きです。最近の浮きは表面に製造年が刻まれるようになったものがあります。オレンジ浮き、真面目に見てなかったのですが、徳島の濱さんのブログ「今日も渚で日が暮れて」で教えてもらい、気にしていたら見つかりました。タイトルヘッダーにアップした写真は2010年製の浮きですが、2013年製のモノには、11、12、13が追加されています。またこのオレンジ浮きは3号も確認しています。
C・4匹のいるかと思われるモチーフを円形に配置したマークの富丰浮き、これはオレンジ浮きと同じ製法で作られていますが、色がオレンジというよりも黄土色です。最初からこの色だったのか、エージングの結果かどうかはわかりません。
D・太陽と波をバックに飛ぶカモメをマークにした海鴎浮標です。表面に記された海鴎浮標、质量保证にはそれぞれHAIOUFUBIAO、ZHILANGBAOZHENGとアルファベットでの読みまで入れた親切?と言うか、不思議なものです。そしてこのサイズは1号型ですが、なぜか2#とも記されていました。あとこの浮きは、ほかのものに比べて角の面取りが大きめで、陽刻面も緩いアールがついたものです。
E・すっきりした細めの明朝体で「渓南雄華」と記されたオレンジ浮き、反対側が太陽浮標もあれば、どちらも渓南雄華もあります。渓南は中国の地名かとネット検索したのですが、出てきません。出てきたのは南渓でした。そして渓南で見つかるのは、お隣の岐阜県多治見市の地名ばかり・・・(笑)
F・ジャンク舟と太陽、それに波をマークにしたお馴染みの俊雄浮標です。これも雄華塑料廠のオレンジ浮き同様に製造年が記されるようになって来ました。このサイズは1号浮きですが、なぜか表示は1/0号、もしかしたら1/0号と同じ浮力があるのでしょうか?
図示したものは、2009年から2013年まで刻印を増やして、同じ型を使い続けているようです。
G・古くからあるオレンジ浮きの有名ブランド「船牌浮標」の1/0号です。そしてこれが本来の1/0号のサイズですね。さて、この浮きですが、実は初めて見た船牌浮標の1/0号でした。これまでにも「太陽浮標」、「順風得利」、「一帆風順」、「大」、「俊雄浮標」、「集魚商標」、「順发」、「大汎浮標」を確認してきましたが初物です。この船牌浮標の得意技はスペルミスなのですが、今回も裏切らなかった!本来はTRADE MARKと入るところに何とTRAEMAK・・・魚を捕えまくるのでしょうかね?(笑)
H・この浮きは、貼り合わせで作られたオレンジ浮きではなく、一体成型で作られたブルー紡錘型浮きです。普通このタイプの浮きには両端に一つずつ、合計2つの刻みがありますが、これは4つ余分に加えた刻みが6つあるものです。刻みが6のものは前からありましたが、浮きの断面が円形な「丸タイプ」のものでした。ところがこれは4つの角が見られる「角タイプ」で、これまでに見たことの無いものでした。
 従来の丸タイプと、今回の角タイプとは非常に酷似しています。サイズもほぼ同じで、刻みのパターンもほぼ同じです。
 上の丸タイプは2004年4月3日、石井先生、それに前事務局長をされていた松本さんと一緒に、福井県小浜市矢代で行われていた手杵祭りを見た後に、京丹後市の箱石浜で見つけた浮きです。表面には海南临高崑社塑料ㄏ、耐圧180米水深、05と刻字され、円の中には海面と漁の標識らしきものと、得魚・DE YUと陽刻されていました。2016年9月17日に赤羽根で見つけた角タイプ、これから各地で見つかることと思います。この秋からビーチコーミングをされる際には、ぜひ探してみてくださいね。
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             上が従来の丸タイプ、下が今回の角タイプ
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              左が丸タイプ、右が角タイプ





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by uki-puka | 2016-10-20 20:58 | プカプカ通信 | Comments(0)

プカプカ通信156・Sep-27-2016

        1年ぶり、渥美でウキウキ   はやししげお

 愛知県渥美半島の太平洋側、通称・表浜は片浜十三里とも言われる連続した浜で、その多くが海蝕崖の下にある砂浜です。もちろんチャートの岩体からなる磯のエリアもありますが、それは一部です。砂浜のほとんどのエリアはテトラポッドが設置されていますが、風、波浪などの状況により、埋もれてしまい自然海岸に見えることもあります。それでも初夏から秋口にかけては漂着物の多い場所なので、夏場のフィールドになっています。
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 2016年の初夏、今年はどんなもんかと期待をして歩き出しました。ちょうど海流図を見ると、潮岬に接近した黒潮が大きく蛇行することもなく、わりと本州南岸に沿って進む2012年と同じような流向を持っていたので、期待が高まってしまいました。けれども、期待に反し、南方系の漂着物は少なく、そればかりか、漂着物が全般的に少なめで写真のようにきれいな海岸で夏を迎えました。
 夏場は恐竜発掘もありますし、浜辺は灼熱地獄で、そう長い間歩いていられません。歩くにしても日の出から4時間ほど。それに日没前の数時間しか、まともに歩く気にはなれないものです。
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それでも、モダマや海豆の大量漂着した2012年の夏は、休憩を取りながら、かなり歩きましたが、還暦を過ぎたオレには難しい話です。
 そんなわけで、9月の浜歩きを楽しみにしていました。9月初旬に日本に接近した台風13号は、中部地方の南岸沿いを北上し東北に上陸しました。おかげで中部地方に大きな影響はなく、波の高さもそう高くありませんでした。そして吹き返しの風向きなどから、稀に見る台風通過後に期待のできそうなパターンだったのです。9月6日の午後から、9月8日の午後にかけてのおよそ二日間、伊良湖岬周辺では南よりの風が吹き続けました。その後は北西の風に変わりましたが、これは良いパターンなわけで、わくわくしながら9月10日、渥美半島へ車を走らせました。そして浜に降り立てば、予想通りの漂着物ラインが満潮汀線よりも少し上に、漂着物帯をかたち作っていました。
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浜辺に釣り人やサーファーはいましたが、誰も歩いていない漂着物帯を歩くのはワクワクするものです。
 そして漂着物帯を歩けば、ウスベニコウイカや、大量のギンカクラゲの「骨」そして大き目のルリガイなどが出迎えてくれました。
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ただ、気になったのは生臭い臭気が漂着物帯のあたりに漂っていることでした。9月10日はお天気もよく太陽の熱がそれを助長していました。臭気の源は大量に打ち上げられたギンカクラゲの「骨」でした。
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長時間海水に晒されてできたギンカクラゲの「骨」ならば、そう臭うことはありませんが、堆積するような漂着状況ではまだ軟体部が残っているものも多く、そんなものや、漂着物に付着していた多くのエボシガイ類(カルエボシとエボシガイ)が乾くときに出す臭気が入り混じった、とても強烈なものでした。
 さて、そんなオレを元気付けてくれたのは浮き玉でした。漂着物帯を追って歩いていきましたが、テトラポッドに近づいたあたりで漂着物帯が途切れました。10mほど先には漂着物帯が復活していたので、そのまま歩こうかとも思いましたが、テトラを乗り越えてみたら浮き玉発見!
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まずは撮影を済ませ、手に取れば嬉しい3PM (スリー・ピース・モールド)、それだけではなくⅢの刻印が肩の部分にくっきり!渥美半島表浜でのガラス玉は1年ぶり、これでウキウキしないわけがありませんね。(笑)
 この3PM、これまでもプカプカ通信で紹介していますが、簡単に解説しますね。3PMは、三つに分かれる型に入れて成型したものです。この表面に二つの筋が見られます。一つは地球儀の赤道の位置を一周しており、二つ目は赤道上から北極点を通り反対側の赤道まで北半球をまわるものです。そして、3PMの多くは肩の位置にマークがあり、これにはⅢが記されていました。アメリカの文献(Glass fishing floats of the World-The collector’s price guide and identification handbook 2nd Ed.Stu Fransworth and Alan D.Ramer.2005,Gorham Printing,Rochester,WA USA)などでは、この3PMがソ連製のものだという記述もありますが、青森にあった佐々ガラスの作ったものだと思っています。佐々ガラスに関しては、プカプカ通信47号に、「印入網葉玉製造法」という3PM製造に関する記事があります。中部地方の太平洋側では、なかなかチャンスが無い浮き玉との出会い、こんなの見つけるともう満足しちゃいます。
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昨年のミラクルもありましたので、欲張ってその後も酷暑の中、日没まで渥美半島の表浜を歩き回りましたが、柳の下に二匹目の蛙はいませんでした。 


今年も漂着物学会で会いましょう
 すでにみなさん申し込まれているとは思いますが、第16回 漂着物学会北海道大会が札幌の北海道博物館で10月22~23日に開かれます。北海道博物館では、第6回企画テーマ展 きれい?不思議?楽しい!?漂着物 ―北の海辺でお宝みっけ!展が、学会にあわせ10.14(金) - 11.27(日)まで開催されます。 ビーチコーミングは23日に望来海岸で予定されています。そして、様似の田中さん主催のウキウキ研修会もその後ありますので、お知らせします。申し込みや質問などは直接田中さんまでお願いします。
ーおしらせー
10月23日漂着物学会ビーチコーミング終了後、様似町におきまして、「拾い放題ツアー」を開催いたします。
ご希望の方は田中まで申し込んでください。
 10/23~25 の2泊3日
 石狩からは、乗り合わせて様似に向かいます。
  宿泊は、アポイ岳調査研究支援センター(予定)
 会費は、数千円です。






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by uki-puka | 2016-09-27 12:00 | プカプカ通信 | Comments(0)

プカプカ通信155・Jul-7-2016

             「海の詩集」の紹介    はやししげお

 2016年5月26日、東京のコールサック社(コールサックとは石炭袋の意味)より、表題の「海の詩集」が刊行されました。その編者の一人は、みなさんおなじみの若宮明彦こと、鈴木明彦先生です。
 彼は、漂着物学会では貝の先生として知られていますが、専攻は地質学・古生物学です。またそれだけでなく、これまでに「貝殻幻想」、「海のエスキス」、「北方叙情」などの詩集や詩論集を発表されています。
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 「海の詩集」は、現代詩人と物故詩人とのおよそ70名の海の作品を集めたアンソロジーです。もちろん彼の作品もあり、その中から一つArgonauta-漂着者を紹介します。

Argonauta-漂着者



 東シナ海の潮境で小さな光を見た
 それはすべて黄水晶の粒であった
 光の壁を幾重にも幾重にも束ね
 一千万年の眠りについていたのだ

 ギリシアの王子イアソンは船旅に出た
 船大工アルゴスの造った巨大船に乗り
 勇士ヘラクレスと名医アスクレピオスを従え
 〈黄金の羊毛〉を求め大洋をさ迷い続ける

 ふと長い夢からさめると
 ここは〈黄金の国〉ジパング
 ユーラシアの東縁まで流されたのか

 対馬暖流のゆりかごから離れ
 北西の〈アイノカゼ〉に揉まれ
 エゾ・イシカリペツの砂丘へ漂着


 アンソロジーに収録された詩も素晴らしいのだが、「潮風のローマンス」と題された巻頭の編者の言葉がたまらない。ほんのさわりだけを紹介しましよう。
               
 地球儀をぐるりと回して、北半球を眺めてみよう。次にわたしたちのなじみ深い北半球の周辺をじっくりと見てみよう。キリのいいように北半球の赤道と北極を二分した北緯45度線をたどってゆくと、日本列島の北方の島、かってエゾ地とよばれた北海道へとたどりつく。本州とサハリン(樺太)に挟まれた北海道は、北東を頭としたイトマキエイのように元気よく飛び跳ねている。知床半島・根室半島が頭、渡島半島が尾にあたるとすれば、左右のヒレが宗谷岬と襟裳岬にそれぞれ相当する。

 こんなイントロダクションで始まる「潮風のローマンス」、地理的な硬質なことばと詩的なインスピレーションの融合で、ぜひ多くのビーチコーマーに手にとって読んでもらいたい一文です。
 そしてこの一文は、先日亡くなられた石井忠先生へのオマージュのように映ってなりません。




     2016北海道ウキウキ研修会inアポイ  田中マサヒト

6月25-26(土日)様似町アポイ岳のふもとに北海道各地からつわもの達、いつもの6名が集結し、2012石狩-厚田研修以来4年ぶりの「北海道ウキウキ研修会」を賑々しく開催したのであった。
それぞれ、この日のためにお肉や脂肪をたっぷり溜め(二人以外は)決して弱みを見せぬように、お腹を突き出し「おひさしぶりぃ~」などと会話を交わして始まったのである。
日高の横綱 石川氏と田中。十勝の横綱 小林氏と藤山氏と行司の中司氏。札幌から若年寄の圓谷氏6名である。どこから見ても、怪しげな仲間内である。
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それはさておき、土曜日のお昼にアポイ岳ジオパークビジターセンターに集合し、さっそく腹ごしらえのためホテルアポイ山荘にビジターでもらったジオ得クーポンでジオカレー、ジオ天丼、ジオ担々麺をそれぞれ食べました。この券は、この日ならお風呂がタダで入れるという特典付きなのです。昼食後天気はいまいちだったのですが、浜を歩きたいというので以前に漂着仏が上がっていた、アンモナイトが時々拾える浦河の浜を歩きました。日高本線が不通になっているので、どうどうと線路を歩いて浜に入ったのです。
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いまいち何も無い浜でしたが、マキちゃんが小さなアンモナイトが3個ほど入った石を拾ったので、案内役としては一安心でした。
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この日は、夕食の食材を買って、「アポイ岳調査研究支援センター」に入り、さっそくアポイ山荘のお風呂に入ってから、夕食の準備。センター名物「闇ラムしゃぶ鍋」を食べながら、北海道博物館の学芸員である圓谷氏に「漂着物とは何か?」と題し発表してもらいながら、いつの間にか「ウキウキシンポジウム」に入っていました。漂着物のことはもちろんのこと、亡くなった陶片の久保さんや前会長の石井先生との思い出などを遅くまで語りました。
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翌日の日曜日は、雨降りで天気が・・・超いまいち、浜歩きは無理なので、その朝にNHKで放送された「自然百景」に感化され、様似特産の「カドバリヒメマイマイ」の採取に山に行ってきました。どうにかそれぞれが2個体ほど取ることができました。
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その帰りに昔開催した「北海道大漂着物展」の時にお世話になった「バイナリー小林さん」が最近自分で建てられたログハウスを拝見させていただきました。漂着物展の時に飾られていた流木のランプなど懐かしいものもありましたよ~・・・ここで、忙しい、えりも町産業振興課石川課長と別れ、浦河郷土博物館を見学し、浦河で昼食をとって解散しました。
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天候には恵まれませんでしたが、10月の漂着物学会北海道大会に向けての一歩にはなったはずです。皆さんお疲れ様でした。食べすぎには注意して札幌でお会いいたしましょう。
(10月に開催の漂着物学会北海道大会終了後、2泊3日ぐらいで様似町において研修会を予定しています。)








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by uki-puka | 2016-07-07 07:39 | プカプカ通信 | Comments(0)

プカプカ通信154 ・ June-10-2016

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                 2006 長者ケ原遺跡にて

 私たちが敬愛する石井先生が5月30日、心不全で78歳でご逝去されました。心よりお悔み申し上げるとともに,多くの寄稿を頂いたプカプカ通信では追悼号にさせていただきました。



 昨年の徳島での学会の時、林さんともう一度、石井先生のところに行きたいね~と話をしていました。 気さくで、ちょっとお茶目な爺さん。北海道大会の時にあちこちと見学していて、お昼ご飯が遅くなった時、「ひもじいな~」と何度も発言されたので、いつの間にか私たちの仲間内では「ひも爺さん」と言われるようになりました。 様似での講演会や懇親会での思い出をはじめ、福岡大会の時にお宅にお邪魔して、私設博物館を見せていただいたり、ドリアンを頂いたりと思い出はつきません。 2004年の京都丹後大会から2010年の福岡大会の7回学会でご一緒させていただきましたが、いつもニコニコされ、誰にたいしても隔たりなく接して声をかけられる先生でした。 本当にもう一度お会いしたかった・・・もう叶いませんが~・・・ 心からご冥福をお祈りいたします。安らかにお休みください。
ウキウキ研究会 北海道支部長 田中マサヒト
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              2010年11月 石井先生の海の館にて


            惜別・石井忠先生   はやししげお

 先生のことを思い出せば、多くのことが次から次へと脳裏に浮かび、際限がありません。偉ぶるところの全く無い石井先生、誰にも同じように対応され、多くの人に愛されていて、どの総会の宴などでも常に人だかりの中心にみえました。私は総会だけではなく、数々の総会の下見や講演などにご一緒させてもらいましたが、そのスタンスは変わらず、いつも人気者でおられました。 最初に先生の名を知ったのは、1981年8月に小学館から発行された雑誌・Be-Palの創刊2号でした。ここで「ビーチ・コーミング 漂着物採集行のすすめ 日本の第一人者、石井忠さんに逢ってきた。」と言う3pに渡る記事からでした。このときの先生は44歳、まだ男盛りで脂ぎったイメージでした。ここで先生の名前は脳裏に深く刻まれました。その後、朝日文庫の「漂着物事典」、平凡社の「渚の民俗学」を買い求め、石井ワールドに引き込まれていきました。そして1999年のGW、近所の本屋でその年の4月末に出たばかりの「新編・漂着物事典」を見つけました。ハードカバーになったくらいかな?と手に取れば、新知見が満載で決定版!この年のGWは、これを読んで終わりました。わたしは幼少時から愛知県の知多半島で遊んでいましたが、この本の影響で浜歩きを再開し、漂着物にのめり込み、2001年に創設された漂着物学会に入会し、2002年の福岡大会で石井先生にお目にかかることができ、自称・弟子から、弟子に昇格したのでした。そして先生はいつも弟子のことを気にかけられ、幾度となく持ち上げ、可愛がってくださいました。ありがとうございました。
2000年代中ごろの講演ではいつもココヤシの実と、ソデイカの拓本を持ち歩かれ、「こんなのイカがですか?」とイカ星人になっておられた姿が忘れられません。
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                    2006年柏崎にて
    
先生は漂着物とともに、マンモスや恐竜もお好きでした。2006年、柏崎市で「渚モノがたり」と銘打った漂着物展が開かれ、その講演後に恐竜発掘現場が見たいとのことで、富山市大山地区の恐竜足跡化石発掘現場へお連れしたことがあります。新潟県柏崎市から富山市までは130㎞ほどの道のりでしたが、今思い出しても楽しくなる珍道中でした。途中に道の駅でもあれば、すぐ休憩!気配りの石井先生ですので、その手にはプリンやら、いつもおやつがありました。ヒスイの出る市振海岸では、二人とも足元を濡らしながらのヒスイ探し!道中「たら汁」の看板があれば「たら汁、たら汁」と、何度も言われていました。昼食後でしたが、今思えばひもじかったのでしょうか?気付かず止まってあげられず、ごめんなさい。 
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            2006 富山市黒川上流の発掘現場にて

 私はかなり初期からETCを使っていましたが、この時に同乗された石井先生は初めてだったようで、大そう驚かれていました。入るときも「切符取らんでいいのかね、強行突破はいかんよ!」。一番おかしかったのはETCレーンを出るときのことでした。料金表示が出てゲートが開くのですが、その時の先生の一言が忘れられません。「こうして助手席に乗せてもらうと、料金所のあたりに来ると、そわそわしてね。財布を出そうか、出さまいか、迷うんよ。財布出すのも失礼かと思うし、出さなきゃケチと思われるのも嫌だし、ETCは、良かとね。何も心配いらんとね」そう、満面の笑みで話されたのでした。(笑)こんなエピソードも気配りの石井先生ならではですね。
 先生に渡された「漂着物楽の普及」のバトン、微力ですが、次の世代へ渡して行きたいと思っております。高いところから見守っていてください。
 最後に、心よりご冥福をお祈りいたします。
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                 2010年 海ノ中道にて



思い出すあの笑顔

 初めて石井先生をお訪ねしたのは、学会設立の何年か前のことでした。ドキドキしながら玄関を入ると、上がり框には大きな赤いザルのような船が鎮座していました。ご著書に出会って以来あこがれ続けた先生が目の前にいらして、次々とお気に入りの漂着物を見せてくださるので、私はすっかりぼうっとなってしまい、どんなお話しをしたのかも夢の中の出来事のようにふわふわした記憶しかありません。
 赤いザルの船は、お伺いする数日前に奥様と二人でえっちらおっちら運んできたそうで、『今日あなたが来るのだから、あの日に無理して運ばなくても、置いておいて手伝ってもらえば良かったねえ』とニコニコしていらっしゃいました。
ある時は、ゆきさんが集めた与那国の種たちをご覧になって『沖縄にはこんなにいろんな種が寄ってくるのか』と心底うらやましそうにつぶやかれたので、八重山諸島へのビーチコーミングツアーを企画しましょうよ、と言ってみました。すると、『いいねえ、行きたいねえ。でも、これから行ってみても、もうあの人らが拾ってしまって、何も拾えないんじゃなかろうか』と小さな声で言われました。
 北海道で立ち寄った博物館の前にあったナウマンゾウの像にまたがる先生(もちろん、のぼらないでくださいと注意書きあり)、古賀大会のビーチコーミングで私が海豆を拾ったら、よかったねえと言いながらとっても悔しそうだった先生。誰彼の話を聞きながら、漂着物を見ながら、いつも浮かべていらした穏やかなあの笑顔。   
 先生のたくさんの教え子たちの一員として、わたしたちも漂着物の生徒の一人であったことが、どんなに喜ばしいことであったかを、今しみじみとかみしめています。
彼岸の浜を、久保さんと一緒にのんびり歩いていらっしゃる頃でしょうか。
石井先生、どうもありがとうございました。             小島あずさ
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                   2006年 ご自宅前にて



      石井先生 ありがとうございました    鈴木明彦

五月末の朝、横浜の京馬さんから初代会長石井忠先生が亡くなられたとのメールが届いて、驚くとともにショックを受けました。しばらく呆然としていたのですが、意を決して当日福岡に向かい、先生のお通夜に参列しました。先生はいつもの穏やかなお顔でした。お通夜の後、先生の奥様やお孫さん(中学校の数学教諭)と、先生の思い出についてお話しすることができ、いくらか心が和らぎました。
漂着物学会の創立以前から、石井先生の著書は拝見していましたが、初めてお会いしたのは漂着物学会福岡大会(2002年)の時です。初対面にも関わらず、先生は気さくに話して下さり、色々とアドバイスをいただきました。また、大会に持参した名著『海辺の民俗学』にサインをして下さいました。この時の言葉「ただひたすら歩く」は、私の座右の銘にもなっています。
2006年の北海道大会ではとてもお元気で、軽妙洒脱なお話しで場を盛り上げるともに、熱心にえりもの百人浜を歩かれていたのが印象的でした。あれから10年の今年再び北海道大会の開催となりました。ご来道されるのは難しいと伺っていましたが、北海道大会の様子をご報告できればと思っておりました。今までの石井先生のご厚情に感謝するとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

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              福岡大会(2002年)でのひとコマ


石井先生へ

北海道も冬のあいだ眠っていた草木がすっかり繁り、あるものは花を咲かせ、実を結びつつあります。4月の29日に雪が積もり、5月の20日から4日間は30度越えで、どうなっているのかと思った今年の春ですけど。

先生が昨年冬から入退院を繰り返していらしたことは、田代さんに伺っていました。それでも今回もまた、ペースメーカーやステントを入れた時のように「人造人間になった」なんて言いながら、暖かくなった頃に退院して来られるのだと思っていました。
訃報が届く前日に田代さんからの手紙が来て、しばらくは退院が難しいことを知りました。それでも、次の日に先生の訃報が届くなんて思ってもいませんでした。
ああ、お元気なうちにもう一度お会いしたかった!お見舞いに行かなかったことが悔やまれます。

石井先生は私のような者も持ち上げて、北海道には北海道全域を巡って毎日『のらつうしん』を発行している女性がいると、あることないこと(笑)著書に紹介してくださって、私は先生に足を向けては寝られません。

私は先生のイラストが大好きです!改めて戴いたたくさんのお手紙、印刷物・資料などを見直していました。なんと心を掛けていただいたのかと、その愛に涙が溢れます。本当に本当に申し訳ないくらい良くしていただいた。有り難い。
この感謝の気持ちを私はちゃんと先生に伝えただろうか?そしてもう伝える術がないと分かった今は、ただただ哀しみにくれるばかりで、心にポッカリと穴が開いたようです。

漂着物学会とそこで出会った方々で、私の人生は大きく変わりました。これもひとえに石井先生のおかげです。
先生には御恩返しはできなかったけれど、これから私ができることは多分、私のできる形でこれから後に続く人に心を掛けていくことではないかと思っています。
ありがとうございました 石井先生。
                                 中司 光子

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                2008年 伊良湖岬にて
 
 石井先生の訃報を聞き、呆然としています。
 年に一度の漂着物学会の際にしかお会いできないので、いつも大会出席を楽しみにしていました。懇親会の僅かな時間に「この間、○○ひろったんですよ〜!」 というこちらの話をニコニコしながら、ちょっぴり悔しそうにしながら聞いて下さるのが、たまらなく楽しかったです。
 種子島大会の浜歩きでは、そこらじゅう におちているためひろう人があまりいないヤシの実を片手に、「ヤシの実は誰も拾わなくなってしもたね」とちょっとふくれながらいっておられたのが、ヤシの 実びいきの先生らしいと印象に残っています。
 学会でお会いできなくなってからも、福岡にお住まいの方から、石井先生と骨董市にいった話などお聞きして、お元気そうでよかったなあと思っていました。まだまだお元気で過ごされると思っていました。
 あのユーモアたっぷりのお話を聞くことができないのが、寂しくて たまりません。
小林 真樹

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                    2010年 ご自宅にて

あれからあっという間に日が過ぎてしまいました。
告別式はまるで家族のお別れのようでした。
私にとってはそれ以上だったかもしれません。
私たち5人は、中西会長、田代さん、大上さん、藤枝さん、ユキ。
ご親族の席にまぎれて座らせてもらいました。
ご友人、ご家族の挨拶のお話に私たち一列みんな涙し
すすってました。
勿論私たちだけでなく参列されてた皆さんもです。
本当に愛されてました。
あんなに長い弔電、まるでお手紙のようでした。
読んでいただいた方皆さんそうでした。

頭の中に穴が開いちゃい ました。
泣き虫の私は時々涙してます。
体操に行ってる時も。

そしてこうも思います。
久保さんと何もとらわれずに浜を巡ってると。
ユキ
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                    2005年 葉山にて         

From Editoe: 残念ながら153号に引き続き、故人の追悼号になってしまいました。この5月には久保さんに続き、私たちの心の支えでもあった石井先生のご逝去もあり、深い悲しみに包まれ梅雨を迎えようとしています。秋の北海道大会は、お二人の追悼大会になることでしょうね。
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by uki-puka | 2016-06-10 07:13 | プカプカ通信 | Comments(0)