プカプカ通信 web版
2023-08-21T21:07:29+09:00
uki-puka
ウキウキ研究会の会報「プカプカ通信」の一部をwebで紹介します。
Excite Blog
プカプカ通信175・Aug-21-2023
http://ukipuka.exblog.jp/33073355/
2023-08-21T14:14:00+09:00
2023-08-21T21:07:29+09:00
2023-08-21T14:14:37+09:00
uki-puka
プカプカ通信
「カイジュウ博2023」
行かれた方もあるとは思いますが、愛知県豊橋市にある豊橋市自然史博物館で、第37回特別企画展「カイジュウ博2023」-海で暮らす仲間たちー が7月14日から9月3日にかけて開かれています。今回の特別展では、渥美半島に打ち上がった鯨類などがメインですが、同じ漂着ということで、渥美半島の漂着物も展示してあります。展示協力でモノや写真の提供、講演会で少しお話をさせていただきました。特別展は9月3日まで開かれていますのでぜひどうぞ。残り僅か!ですね。
この図録は漂着物も掲載されており、豊橋までは行けない・・・と言う方は通信販売でも求められますよ。詳しくは博物館の通販へ!
4月のアサガオガイ大量漂着
漂着物学会の会報でもお知らせしましたが、表浜では4月に外洋モノの漂着がありました。中でもトピックは、アサガオガイの大量漂着でした。それも普段見かける直径1~2㎝の個体ではなく、3~4cm の大型個体がかなり混じっており、こんなのは初めてです。ルリガイの大量漂着は何度も体験していますが、アサガオガイには驚きました。
そして殻高と殻径が近い、腰高タイプも多く混り、これは成長過程での変化と思われました。
この漂着は表浜でも局所的で、渥美半島では東高西低な密度で、豊橋市と湖西市の境界あ立の密度が高いものでした。
アサガオガイと同時にカツオノカンムリもやってきましたが、何と帆の傾斜が右傾で、円盤の長径が6㎝を超え、7㎝ほどにもなる大型個体が目立ちました。この漂着では右傾の個体が多かったのですが、一部左傾もありましたが、ほとんどは長径が4㎝未満の個体でした。
4月のシリンダー型ガラス浮き
こうした4月の流れは、黒潮が蛇行し南側から真っすぐ表浜にぶつかったときの影響だったのでしょう。そのために豊橋市では北赤道海流や黒潮によって北太平洋上を時計回りに流れているベルトコンベアからシリンダー型ガラス浮きもやってきました。
これは北海道型と呼ばれており、円筒形に耳がついたものです。この形は北海道の太平洋側で使われており、日本海側ではあまり見かけません。コケムシなどの付着も多く、太平洋上を何周したのか気になるところです。
中国製エコ浮き
数年前から中国の広東省ではカキ養殖などで、PET素材の「エコ浮き」が使われており、その漂着も増加中です。
PET素材はさまざまな色に着色され、赤いものが目立ちますが、他にもすうしょくあるようです。こうした青系もありますが、キホンは透明なPET素材で中には気体が封入されています。
これに近いものでは上の写真のような涙型のモノもあります。ただこれは素材がPETではなく不透明なもので、詳細は不明です。
このように新たな型の浮きも登場しており今後も注視していきたいと思います。
.
.
]]>
プカプカ通信174・Aug 20 2022
http://ukipuka.exblog.jp/32710251/
2022-08-20T00:00:00+09:00
2022-08-17T22:37:16+09:00
2022-08-17T22:37:16+09:00
uki-puka
プカプカ通信
さて、今季の表浜、始まりは早かった!何と4月に台風1号の到来があり、その前後にはちょいと黒潮系のモノもやってきました。遠州灘方面からの流れもあって、去年の福徳岡の場の軽石がやってきたのでした。
4月23日、豊橋の伊古部海岸で確認した福徳岡の場の軽石は、このように小さなサイズのモノが目立ち、これまで表浜で見つかったものに比べ、かなり小ぶりでした。そして漂着かるいしはあまり円摩されておらず、硬く黒いチョコチップと呼ばれるガラス質のモノがはっきり確認できました。
豊橋の伊古部海岸で確認した福徳岡の場の軽石でしたが、その流れはずっと西へ伸び、赤羽根ロングビーチにも達していました。軽石は高潮線あたりに密集しておりました。
赤羽根ロングビーチあたりではかなり大き目な軽石も見つかり、長径8㎝ほどのモノも見つかりました。
ただこの時点では福徳岡の場の軽石が普通に見られたのは赤羽根まででした。上の図は、ポイントごとの軽石の中で福徳岡の場の軽石が占める割合です。伊古部あたりでは多かったものが、西に向かうに従い徐々に減少し、小塩津では軽石全体の5%ほどしかなく、先端部の伊良湖や石門あたりでは全く見ることができませんでした。
この日、表浜では浮き玉も拾うことができ、モダマもいくつか見つかり、幸先の良い、早いシーズンのはじまりと思われました。
ただ残念なことに5月は大きな動きも無く過ぎ、6月に入ったあたりからアカウミガメの産卵が始まり、これはコンスタントに8月まで続きました。昨年の様子がショボかったので、これは嬉しい限り。浜歩きをすればトラックの一つは見つかる感じでした。
6月末、田原市でとんでもないものが見つかりました。それは紅白のケースに収められたベントスの調査器具、50㎝ほどの直径で、中の機材も重く全く動かすことのできないものでしたので、ガラス球ではなく、ガラスの半球を二つ合わせた中に調査機材が入っていたと思われ、写真だけ撮っておきました。
その1週間後、現地を再訪すれば、誰かがステンレスのボルトを緩め分解したようで、プラケースは外され、ガラスの半球も分解されておりました。 ただその中身に関してはこんな電子部品の入ったもので、詳しいことは分かりませんが、調査したデータを衛星回線で送るような風にもみえました。
このまた1週後に行きましたが、波にさらわれたのか、奇特な方が処分されたのか、もう何もありませんでした。
さて、7月になりカツオノエボシ、カツオノカンムリといったクラゲを期待していましたが、あまり来ることも無く、代わりに来てくれたのは水色のビゼンクラゲ!
昨年の夏はガラスの浮き玉が多く、ひと夏で10個以上と言うレコードがたてられました。けれども今年は全くダメ、その代わり中国でカキ養殖に使われるPET素材のウキがいっぱい漂着しておりました。これは丈夫で57㎏の私が上に乗っても凹みもしません。
近年、この形のウキはよく漂着しているようで、表浜でも目立ちました。これだけやって来るのですから完全なものも多く、養殖場から逃げ出してきたものでしょうかね?
表浜、オレンジウキ、ブルー紡錘型ウキ、ブルーマメ型ウキ、ブルー分銅型ウキなどはいつも通りやってきています。また球形で耳が二つあるプラ浮きもコンスタントに来ていますが、8月になっても4月に1個出た限りで、ガラス玉が見られないのは寂しいもんです。秋の台風シーズンに期待でしょうか?
プカプカ通信は不定期発行です。原稿が集まれば出せますので、浮きや漂着物の原稿あれば、ぜひどうぞ。
.
]]>
プカプカ通信173・Sep-20-2021
http://ukipuka.exblog.jp/32302782/
2021-09-20T06:47:00+09:00
2021-09-12T15:19:16+09:00
2021-09-12T15:01:08+09:00
uki-puka
プカプカ通信
赤いペット素材のフェンダー
まず、目につくようになったのが赤い透明なペット素材のウキ状のもの。これは昨年11月ごろから日本海側の福井県美浜町などで見つかり始めました。長さは60㎝、直径が28㎝のシリンダー型でしたが、サイズ違いも何種類かあるようです。そして素材はペットボトルと同じですので非常に軽いモノでした。ただそれだけではなく、中にはガスが充填してあり、体重が60㎏弱の私が乗っても何の問題もないものでした。さて、この片端には耳があり、そこにはロープが結わえられていました。ただここで気になったのはそのロープが漁業用のテンションがかけられるものではなく普段使いのものであったり、細いものが目立ちました。 そのため漁業用に使われたと言うよりも船舶の横にたらすフェンダーが主用途と思われました。昨年に日本海側で現れ始め5個、2021年には6月伊良湖岬で漂着を確認し、その後は8月末までに8個の漂着を確認しました。そのほとんどはガスがしっかり充填されたものでしたが、少しガスが抜けたものが1個、完全にガスが抜けてシワシワになってしまったものが1個でした。この素材は軽く、ガスを抜いてしまえばかなり容積が減りますので、発泡スチレンのような困った存在にはならに気がします。
ソーラーラジオツナブイ
7月末から8月の初めにかけ、おかしな方向に向かう台風の発生などもあり、海はかなり荒れました。その時にやってきたのがソーラーラジオツナブイでした。
ソーラーラジオツナブイではスペインのZunibal社の製品が有名ですが、これも同様のものでソーラー電池で動くマグロ巻き網漁用の魚探ですね。これを海上に浮かべて、そのデータからマグロなどのいる場所や群れの範囲を探り、漁の助けにするものです。海に浮かべると、透明な窓が上向きになり、窓の下にあるソーラーセルが発電するようになり、中心の白い部分が発信機のアンテナでしょう。そのデータはソーラーバッテリーの電力で発信され、衛星を介して海上の船舶で見ることができ、船舶からのゾナーや魚探と併せて、魚群の全貌を掴みやすくなるようで広く使われています。上の二つは同じ日に見つけたものですが、かなり多用されているようです。
ソーラーラジオツナブイに関して、詳しいことを知りたい方は、ズニバル社のウェブページをご覧ください。https://zunibal.com/en/
この夏の表浜のガラス玉!
初夏から秋にかけては、ほとんど渥美半島の表浜を歩いてきました。もちろん福井の発掘が忙しくあまり歩けない年もあり、表浜で見つかるガラス玉の数は大したこと無く、年間に数個(1~2個)がほとんどで、何とゼロの年もありました。そんなわけで、夏の表浜では、青い貝やクラゲ類、それに海豆と出会うのが楽しみなのですが、なぜかこの夏はガラス玉との縁がありました。
これまでで一日に2個とか拾えた日もありましたが、何と新記録の6個!日本海側では一日に2~30個もありましたが、太平洋側では初めてのことでビックリ!この6個の内訳は直径6㎝の川口、旭、直径7.5㎝、直径9㎝2個、直径10㎝で、6㎝以外は全て無銘でした。何より驚いたのは直径7.5㎝の玉が、サンゴ玉だったこと。サンゴに付着した面は砂の中に埋もれていましたので拾い上げるまでは気づかなかったのですが、気づいたときには手が震えちゃいました。
大き目の玉では中国で昆布養殖に使われている緑玉とも出会うことができました。この緑色のガラス玉は直径が28㎝、尺にはほんの少し届かないサイズですね。この玉は二つに分かれた型に入れて作られるために中央に型の縫合線が入ります。そしてシール部分は出べそではなく凹んだヘソでマークなどは無いのが特徴です。この玉はもうかなりストックがあり、庭にイッパイ出していますので、持ち帰らずに田原のビーチコーマーさんにプレゼントしておきました。
プラウキ
さて、プラスチックのウキですが、かっては日本海側でしか見られなかった韓国製のウキ、2012年頃から少しずつ太平洋側でも顔を出すようになりました。そして今では普通にオレンジ浮きや、青い紡錘型のウキと一緒にいくらでも転がっていますね。こうした韓国のプラ製品は、ウケの返し、ウケに入れる赤い餌かごなどと一緒に増えてきました。一気に増えたのではなく、徐々に増えてきていますので、日本海にあったものが、津軽海峡を抜けて太平洋に出て南下し、黒潮から北太平洋海流、カリフォルニア海流、北赤道海流と、北太平洋亜熱帯循環のベルトコンベアに乗っかってもたらされたものと思います。先ほど紹介したガラス玉も同様なシステムでしょうね。
オレンジ浮きでは新たなタイプが見つかりました。サイズは1/0号なので最も大きなサイズで、陽刻には中国語で「凯纳浮标 质量保证」とありました。中央の図柄は太陽浮標のモノに似ていますので同じところで作られたものかも知れません。
表浜ではこのところグンバイヒルガオの開花が目立っています。田原市では去年何とか台風の被害が一部で済んだために少し木質の部分が残り、そこから伸びた茎が匍匐して範囲を広げ早いところでは7月末から開花をはじめました。
プカプカ通信は不定期発行です。原稿が集まれば出せますので、浮きや漂着物の原稿あれば、ぜひどうぞ。
.
]]>
プカプカ通信172・Nov-10-2020
http://ukipuka.exblog.jp/31763400/
2020-11-10T07:01:00+09:00
2020-11-06T20:39:02+09:00
2020-11-05T22:09:40+09:00
uki-puka
プカプカ通信
2020年、コロナ禍が広まり、あっという間に11月となり、プカプカ通信も1年サボってしまいました。仕事場も春先には自宅待機となり始まったのは6月でした。おかげで夏休みの短縮やら、何やら忙しく・・・と、言い訳です。
そうは言っても、時間を作り感染リスクの少ない海へは行ってましたよ。コロナ禍の海水浴場は閉鎖・・・なかなか入りにくい海もありましたが、初夏からしばらくは太平洋側大きな動きは見られず、南風が吹いても何も寄らないことが多く、暑さでグッタリすることばかりでした。
ソルトスプレイの表浜
シーズンの始まりは6月中旬でした。ソルトスプレイのかかるこんな日は、南風が緩く吹き、漂着物が寄る可能性の高い日なのです。渥美の表浜ではあまり強い風より、3~4mほどの南風がこれまでイイ感じにモノを運んできてるのですよ。 パプアアブラギリ Omphalea papuana
テリハボク、シナアブラギリ、ククイと南方系の植物種子が出始めたと思えば、いきなりのパプアアブラギリ Omphalea papuana登場!こんなのが出れば一気にテンション上がり、いくらでも歩けちゃいますね。 北海道型シリンダーガラス浮き(ローリング・ピン)
そして、お次に登場したのは北海道型のシリンダー(ローリング・ピン)型のガラス浮きでした。渥美半島では時折コレが拾えますが、見つかるとうれしいものですね。きっとこれは北海道で使われていたものが南下し、黒潮に乗っかり太平洋を渡りアメリカ沿岸に、そのまま南下して反赤道海流で西へ西へ、そしてフィリピン辺りから北上するコースで太平洋を何度か周回して届いたものでしょうね。 カツオノカンムリ Velella velella
帰りがけにはカツオノカンムリとカツオノエボシが南風と満潮に向かう潮時が重なり続々と漂着する場面にも出会えました。青い貝は僅かでしたが、青いクラゲの漂着シーンに立ち会え、嬉しいシーズンの始まりとなりました。 伊良湖岬のココヤシ Cocos nucifera
良いスタートを切ったシーズンでしたが、その後が続きませんでした。
黄色い花を咲かせる日本のハイビスカス・ハマボウが咲きだし、しばらく花期が続きましたが、花を見なくなっても大きな変化はありませんでした。
コロナ禍で休校が続いたため、夏休みも短縮されました。暑さを避けるために夜明けに渥美半島に行き朝方歩く・・・と言うパターンを、7~8月は続けましたが、大した寄り物もなく、見つかるのはココヤシ、ゴバンノアシ、テリハボク・・・いつ来る?いつ来る?と待ちました。
こうした真夏の寄りの少なさは、台風が日本に接近する数の少なさとも関係があったようです。2020年は7月の台風発生が少なく、8月になってやっと3号が発生しました。その後はいくつかできましたが、日本に接近したものは8月末に発生した9号、それに続いた10号でした。
ルリガイ Janthina globosa
何も来ないまま夏が終わるのか?と思っていましたが、8月の終わりにやっとギンカクラゲやルリガイがやって来ました。待ちに待った青物登場ですが、夏の暑さにはかないません。小雨でも降ればよいのですが、晴れてばかり。前に南方系海豆の大量漂着があった2012年はまだ50代中ごろでしたが、今じゃジジイ・・・本当に暑さはこたえました。無理がきかないので、休憩できるお店に入り浸り太陽が西に向かう時間を待つことが多かった。 家でエアコンをかけ、のんびりしても良いのですが、やはり海へ海へと足が向き、「老人と海」の世界になってきましたわ。(笑) オオバヒルギ Rhizophora mucronata
打ち上げられたギンカクラゲは重なるほどで、それが夏の暑さで干物になり臭い臭い!そんな中見つけたモノはオオバヒルギ Rhizophora mucronataでした。何と50㎝を超す大物で、ご覧のように緑色をした完璧なモノでした。このサイズはもう日本にあるヤエヤマヒルギではなく、もっと南方から来たものでしょうから、黒潮の強さを実感しました。これはぜひ生かしてみたいと真水に浸けてしばらく観察しましたが、残念ながら発芽や出根を見ることはできませんでした。残念! ワニグチモダマ(アニマル柄)Mucuna gigantea
発芽していたニッパヤシ Nypa fruticans
8月末から出現した漂着物は台風の影響をうけているようで、やっとワニグチモダマなどの海豆も顔を出すようになりました。もちろん台風の影響もあるのでしょうが、黒潮の強さを物語るモノもありました。それは発芽したままのニッパヤシでした。ニッパヤシはマングローブ植物で、ある程度は耐塩性もあるのですが、まさか愛知の浜辺で発芽したニッパヤシにお目にかかれるとは思ってもいませんでした。このニッパヤシは真水に浸しておいたところ出根して、11月現在も緑色の芽を少しずつ伸ばしていますが、この愛知の冬が越えられるのかは分かりません。この台風9・10号の影響で漂着した海豆などはブログ Beachcomber's Logbookに紹介しています。
台風が運んだ北海道型シリンダーガラス浮きや南方系漂着物
さて、プカプカ通信の本来のテーマである浮きですが、北海道型シリンダーガラス浮きも台風の影響で漂着していました。北海道の太平洋側では今でも化け縄漁で使われている地域もあり、そんなに珍しいものではありませんが、使用域以外で見つけると、嬉しいものです。
ウキウキと言えば、プラウキも忘れてはいけませんね。最後にシリンダーよりもレアな(2020年11月現在)浮きも紹介しましょう。このウキを表浜で見かけた時、最近多い韓国製のウキに見えました。けれどもよく見ると表面に記されていたのはハングルではなく、タイ語でした。これがどこで作られていたものかは不明です。本来ならタイ製品と思いたいのですが、作り方が韓国製のモノとほぼ同じで、半球型のウキを接着して作られています。そのために韓国で作られた可能性もあるわけです。ただタイ語が記されていたのは、タイで使われていたものがやって来たと考えてよいでしょう。今後この製品が日本にどれだけ漂着するのか、非常に興味深いところです。この記事を読まれた方でご存知の方がみえましたら、ぜひお知らせください。
1年ぶりのプカプカ通信として、この夏の渥美半島表浜・太平洋側での概要をお知らせしました。記事はいつも受付中ですからぜひどうぞ。
.
]]>
プカプカ通信171・Nov-10-2019
http://ukipuka.exblog.jp/30558480/
2019-11-10T07:47:00+09:00
2019-11-05T22:06:06+09:00
2019-11-05T22:06:06+09:00
uki-puka
プカプカ通信
今年の3月で定年・再任用も終了し、5月から私設資料館「三平皿・古民具の館~アポイ自然情報館~」を開館しました。
今までの趣味の総決算というような展示です。 「三平皿」というのは、北海道独自の呼び名で、本州での「なます皿」ことです。明治・大正時代など、ニシンが大漁の時期に本州などから多くの人たちが、出稼ぎで来ていたそうで、食事の時に、一人2枚を使いご飯だったり、みそ汁だったりと、皿の役目やどんぶりとしての役目もできる万能な食器として使われたようです。そのうちに三平汁(塩蔵した魚と野菜が入った塩味の汁)に使われるようになり、いつしか三平皿と呼ばれるようになりました。
昭和30年代までは、どこの家庭でも見られましたが、物が豊富な時代になった40年代ごろから消えていったようです。
三平皿の展示がメインですが、「火箸」「漂着物」「砂金用具」「石」など、何でもありの展示です。
資料館といっても、そんなに来館者は見込んではなく、平均一日一人が目標で何とかクリアできました。 で、暇もたっぷりありましたので、この20年ほどで拾ったり、貰ったりしたガラス玉(小中)の整理を2週間ほどかけて行いました。今はあまり拾えないガラス玉ですが、拾えた年は、1000個や500個が拾えたなんて、夢のようでした。
総数5,239個このほかに、展示などに100個ほどがあります。(大玉は未整理)
マーク無し 1,252個 川口(三方)1,644個 旭(三方 644個
D.G 317個 〇にC1 185個 3 175個
大 79個 第一 150個 シ 77個
□の中にD.G 71個 D.G B 56個 サ一(三方) 55個
□の中に川口 74個 シリンダー125個 その他マーク等 335個
from Editor
「三平皿・古民具の館~アポイ自然情報館~」に収蔵された小型~中型の浮き玉はおよそ5000個あるそうですが、ここまで来れば1級の資料ですね。来年は札幌でマラソンもあるようだし、様似においでの際は、ぜひお立ち寄りください。
前回のプカプカからおよそ半年、一時は月刊状態でしたが、年に二回と言う状態では廃刊間近?せめて季刊ぐらいにはしたいので、みなさま原稿お寄せください。今回は田中さんが原稿を寄せていただけたので、何とか「ところてん発行」できました。
二度あることは三度ある・・・三度目の正直? はやししげお
さて、この夏の渥美半島は種子が割りと好調で、ついに南米産のマリアマメまで見つけることができました。これはハッキリ言って台風のおかげなのです。愛知に直撃は無かったものの、南からの風が吹き続けてくれたおかげと思っています。
マリアマメは、これまでに沖縄県の宮古島、与那国島などでは漂着が確認されていましたが、まさかフィールドの渥美まで届くとは思っていなかったので、見つけた時は腰が抜けた感じがしました。はるか南米からやってくる距離など知っていましたのでマヂでね。
さて、タイトルの二度あることは三度ある…ですが、これはシリンダーのことです。 一度目は今年の7月20日、渥美半島の真ん中ほどにある田原市の大草海岸でポツンと打ち上げられていたシリンダー発見!久しぶりのことで嬉しくてね。お昼には何か美味いモノでも食おうか❕そんな気分にさせてくれたシリンダーでした。渥美半島のシリンダーは、北海道のモノが大平洋を渡りくるくる回る太平洋ベルトを何周かした後に上陸したものでしょうね。 二度目は小雨降る8月23日、この日は渥美半島田原市の大草あたりから東へ東へと歩いていて、モモタマナやシナアブラギリの転がっているラインをトレースしていた時のことでした。テトラポッドの出現でラインが切れ仕方なく、テトラの上を歩いていたら・・・テトラの隙間にシリンダー!こんな感じでヒョイと現れるものですね。その続きでテトラの周囲にヒメモダマ、イルカンダが待っていてくれるという。ある時はあるものです。 三度目はしばらく間を置いた11月2日、そう三連休の初日のことでした。この日は全国的な好天、そんなわけで福井に向かいました。福井と言っても最近は近い若狭地方の浜を歩いています。敦賀半島の水晶浜など西側の浜辺ではまだ少なめですが、漂着物は寄っておりプラゴミやガラス瓶にはエボシガイの付着もありました。また集積した小枝や軽いモノがまとまっているあたりにはギンカクラゲの姿も見られました。次に訪れたのは美浜町の耳川の河口部一帯です。 ここでは、河川の運んだ流木などと海ゴミがかき混ぜられて、後浜の奥にある堤防あたりに押し込められていました。これじゃ海豆は見つからないなぁ~と嘆いていた所、目の前にシリンダーのシルエットが!三度目の正直!ついに今年は本州中部、自分のフィールドでシリンダー3本を達成しました。
.
]]>
プカプカ通信170・May-10-2019
http://ukipuka.exblog.jp/30266465/
2019-05-10T06:22:00+09:00
2019-05-09T19:05:47+09:00
2019-05-09T17:26:22+09:00
uki-puka
プカプカ通信
2018年から2019年にかけての福井県での漂着シーズンで、福井で見た浮き玉について簡単にまとめてみます。福井での浮き玉漂着状況は年により漂着数に変化が大きく、近年では全く拾えない年もありました。
歳のせいか、長距離ドライブが苦手となり、福井方面はぐっと減り、敦賀周辺の若狭地方ばかりを歩いていますのでそのあたりはご容赦を!(笑) 水晶浜のカツオノエボシ
2018年12月、ちょっと面白そうな流れがやってきました。9日には美浜町ダイヤ浜でエボシガイの付着した直径7.5㎝ほどのガラス玉がありました。そして日本海側ではガラス玉よりも珍しいカツオノエボシを水晶浜で見ることができました。
もう一つ、12月にうれしかったのはソデイカが多かったこと!水晶浜では、行けばみられる状態がしばらく続きました。複数個体発見し、まともなモノは持ち帰ることもできました。一番残念だったのは、生きたソデイカを見つけて大喜びし、エンペラをつかんで何とか満潮線より上まで引き上げました。やはり重いので車にビニール袋を取りに行き、急ぎ戻ったところ何とソデイカがいない!!マヂっすか? ソデイカは大波に浚われ海中へ!でも漂着するような個体なので、そのうち揚がって来ないかとしばし待っていましたが、残念ながら、見つけることはできませんでした。打ち上げられたソデイカ、サイズは胴の長さが50㎝ほどのモノが多く、特大サイズも無ければ、小さいものもありませんでした。また同じ頭足類のアオイガイも年末ごろには姿を現しました。 水晶浜のソデイカ
福井在住の八田さんは12月13日に福井市の三里浜でオウムガイの死殻を見つけられていますし、2018年は良い流れが暮れを締めくくってくれました。 2018年のお年玉・美浜町でガラス玉
年が明けて2019年、元旦に浜歩きをしました。まぁ、この日は道路が空いているというのが一番で、そう期待はしていなかったのですが、美浜町でお年玉を二つ頂きました。お年モダマじゃなくてガラス玉でしたが・・・(笑)
一つは韓国焼酎Jin-roの瓶などをリサイクルして作られたのではないかと思われる鮮やかな緑色のものでした。もう一つはちょっと大きめで直径12㎝ほど。表面がつや消しで、これは最初からフッ酸で加工してつや消しにしたものだと思われました。
2018年の初めは日本海側で大雪があり、交通がストップするほどでした。そんなわけでその年末のため、新しいスタッドレスタイヤを買い求め用意していましたが、1月になっても暖冬で雪は降りません。雪も無いので安心して出かけることのできた1月5日、この日は5個も拾えました。 1月5日に拾うことができたガラス玉たち
このように3日のインターバルで同じ浜を歩き、ガラス玉が拾えたというのは、かなりの供給量があったわけで、それを北西の季節風と吹送流が運んでくれたわけですが、これは幸運でした。
続いて1月12日、この日も同じ浜を歩いてガラス玉3個。でもそれだけではなく、ヤリマンボウ、アオイガイ、ヒメモダマ、ジオクレアと大満足の漂着物に恵まれた一日となりました。こんなことがあるのでビーチコーミングはやめられません。 1月12日に見つけたヒメモダマ
この日、多くのモノに出会いましたが、その理由は風でした。12日は南南西の風0.9mとビーチコーミング日和でしたが、前日の11日は北の風3.2m、9日は北の風4.7m(風速表示はどれも平均)と強い風が吹き荒れ、沖のモノをドッと陸に打ち上げたのでしょう。おかげでビーチコーミングでもうれしい成果をあげることができました。けれども風のお土産はそれだけではありませんでした。浜を埋め尽くしたのは色とりどりのプラスチックごみでした。よくもまぁ、これだけのゴミが寄ったものだと思うほどの量で、ガックリ肩を落とす気分でした。 美浜町で見つけた漂着物・星の帽子は北朝鮮のもの、アオイガイやジオクレア、モダマもありました
1月19日、ガラス玉はいつまで拾えるのだろうか?と、また若狭に出かけました。ガラス玉はもちろんありましたが、驚いたのは北朝鮮の帽子、これまでにも一度おめにかかったことがありました見てますが、これほどキレイなものは初めて!2019年は美浜町に北朝鮮の木造船が漂着していますし、こうした状態の良いものが流れ着くのは隣国と言う感じを強く持ちました。 福井市三里浜砂丘でのビーチコーミングに乱入!
1月27日、久しぶりに福井市三里浜を歩きました。この日は福井市自然史博物館友の会のビーチコーミングで八田さんがホストでした。この日の三里浜ではアオイガイがあり、ことまるさんがモダマを見つけられるなど、多くの眼で探すと、多くのモノが見つかることが実感できました。この日は福井市の広報が「やろっさFUKUI」の撮影に来られていて、その様子はYoutubeでも見られます。やろっさFUKUIビーチコーミングで検索、 URLはここです。https://www.youtube.com/watch?v=5rKK5hL97Lo 浜に寄り集まるプラゴミ
2月の声を聞くと、なぜかガラス玉の漂着も目立たなくなり、同様にアオイガイに入れ替わってハリセンボンの漂着が目立つようになりました。
ただ今期の福井県若狭地方の特色としては暖冬によって積雪をほとんど見なかったことです。谷あいの北斜面などで一部見ることもありましたが、雪の心配も無く浜歩きができたのは初めてのように思います。 2019年もハリセンボンの大量漂着がありました
2月のハリセンボン大量漂着は北向きの海岸で始まり、しばらくしてどこの海岸でも見られるようになりました。密集した浜では汀線100mに沿って300個体ほどの数を確認した場所もありましたので、日本海側全体の漂着数はどれほどあるのでしょうか?気温が上がるにつれ、腐敗した死体から外れた針が浜辺に散らばるようになってきました。この夏、海水浴の際には、足元へ注意が必要でしょうね。
とりとめもなく、ガラス玉を中心に福井県若狭地方のこの冬の様子をお知らせしました。プカプカ通信169号を出したのが2018年の8月、かなりブランクあっての170号です。とっくに廃刊?いや原稿があれば出しますよと他力本願寺になってきました。(笑)]]>
プカプカ通信169・Aug-11-2018
http://ukipuka.exblog.jp/29677925/
2018-08-11T08:04:00+09:00
2018-08-25T07:41:23+09:00
2018-08-09T00:18:31+09:00
uki-puka
プカプカ通信
2018年7月中旬、10日間ほどパリに滞在する機会を得ました。セーヌ川左岸のカルチェ・ラタンは、大学や博物館が集中する地区です。国際学会の会場でもあった国立自然史博物館(Museum National d'Histoire Naturelle)には、植物園、動物園、展示館等があります(写真1)。 (写真1)
国立自然史博物館というのが正式名称ですが、日本ではパリ自然史博物館ともよばれています。ここでは貴重なコレクションを持つ展示館を二三紹介しましょう。
はじめに鉱物学・地質学陳列館(Galerie de Mineralogie et de Geologie)を訪ねました(写真2)。 (写真2)
夏休み期間中ということもあり、フランス初公開となるティラノサウルス・レックス(T.rex)の特別展が行われていました。体長12.5m、体高4mの見事な標本でした(写真3)。 (写真3)
これに関わる展示や映像は工夫されていましたが、展示標本の多くは割と見慣れたものでした。また、隣接した部屋は隕石の特別展でしたが、目玉となる標本はなく、迫力に欠けていた印象です。常設の展示は、ヨーロッパが主体で、鉱物や化石などはオーソドックスな配列でした。特別展のため、館内が人であふれていて、じっくり見学できなかったのが少々残念でした。
次に見たのは古生物学・比較解剖学陳列館(Galerie de Paleontologie et d'Anatomie comparee)です(写真4)。 (写真4)
こちらには、クジラ、ゾウ、キリン等の巨大動物から、カエル、トカゲ、ネズミ等の小動物まで、雑然と骨格標本が並んでいました(写真5)。 (写真5)
まず入口正面には、比較解剖学の父キュビエの威厳ある像があります(写真6)。 (写真6)
1階では、 多種多様な現生骨格標本のオンパレードです。骨好きの方にはたまらない場所でしょう。現在絶滅してしまった動物の標本を見ることもできます。一方、2階は古生物の展示で、大小様々な化石標本を見ることができます。世界中から集められた示準化石 が過不足なく並べられていましたが、展示自体はひと昔前のスタイルです。解説が仏語なのはしかたないと思いますが、タイトルには英語も併記してほしいと思います。私が注目したのは、2階の目立たない場所にあった貝化石のタイプ標本やモノグラフです(写真7、8)。 (写真7) (写真8)
『動物哲学』で有名なあのラマルクが記載した標本で、これにはちょっと感激?しました。また、これも片隅にあったカシパンウニの密集化石標本にも気になりました(写真9)。 (写真9)
ラベルを見ると、Burdigalienなので、新第三紀中新世(約17?15Ma)のものですが、今の浜辺でも見かける感じです。
今回のメインは、やはり進化大陳列館(Grande Galerie de l'evolution)でしょう(写真10)。 (写真10)
1898年、ジュール・アンドレによって作られた旧動物学陳列館が前身だそうです。第2次世界大戦で大きな被害を受けたため、半世紀ほど閉鎖されていましたが、1994年にリニューアルオープンしました。18?19世紀の古い建物が多い中で、この陳列館は現代的な展示構成になっています。吹き抜け空間を生かした動物と進化の多様性の展示は人気を集めています(写真11)。 (写真11)
実は国際学会2日目の夕方に、ここでウェルカムパーティーがあり、ワインやチーズやスイーツを楽しみました。2階や3階にも世界中から収集された一級の標本が展示されていました。照明がやや暗めのこと、解説が仏語のみのことは気になりまし。
これらの展示館は、いずれもルイ13世時代から続く美しい植物園の中にあります。パリご旅行の際に見に行く価値はあると思います。特にユニークな展示の進化大陳列館はお勧めです。
]]>
プカプカ通信168・May-10-2018
http://ukipuka.exblog.jp/29482512/
2018-05-10T12:05:00+09:00
2018-05-08T22:20:34+09:00
2018-05-08T22:20:34+09:00
uki-puka
プカプカ通信
石狩市厚田区の古譚海岸は,望来と厚田の間にある小さな浜辺(=ポケットビーチ)です(写真1). ここは地質見学のジオサイトとしても知られています.浜の入り口には盤ノ沢層(約1000万年前)の細粒砂岩,奥には厚田層(約1200万年前)のシルト岩が露出しており,まれに貝化石が産出します.また,波打ち際にはいわゆる石だまりが見られ,そこからは様々な色のメノウを拾うことができます(写真2). 漂着物では,岩礁性の種類を含む打ち上げ貝が多数見られる場所です.地点によっては,多くの流木で覆われている場所もあります(写真3). また,海が荒れたあとにはガラス浮きが見つかることもあります(写真4). さらに春先にはイルカ,アザラシ,トドなどの骨の打ち上げも見られます.
さて4月中旬,テレビ局スタッフと新大学院生とでビーチコーミング取材の下見に出かけました.今年石狩の海辺を歩くのは初めてなので,あまり期待もしていませんでしたが,いきなりトドの漂着に遭遇しました(写真5). 体長3メートルにも及ぶ大きな個体なので,オスの成体と思われます(写真6). 一部体毛が失われ,腐敗も進んでいたので,漂着してひと月くらいは経っているのかもしれません.また,頭骨には特徴ある歯もしっかりと残っていました(写真7).
トド Eumetopias jubatus (Schreber) は,食肉目アシカ科に属する海棲哺乳類です.アシカ科の中では最大の種で,オスは体長190〜305cm(平均245cm),メスは体長170〜258cm(平均225cm)に達するそうです.石狩沿岸では,冬季になると,石狩市北部〜増毛町にかけて,多数のトドが出現することがあります(写真8). 北海道を代表する海獣トドは,道内ではおたる水族館などで見ることができます.
渥美半島の田原市にスナメリの漂着 はやししげお
スナメリNeophocaena phocaenoides は、ネズミイルカ科スナメリ属に属する小型のイルカで、愛知県では三河湾と伊勢湾とで生息が知られています。三河湾では田原港あたりが、ねぐらとして知られており、親子連れで泳ぐ姿も目撃されています。
1994年に公開された三重大学のレポートでは、1991~1994年にかけての調査で1900頭の生息数が見積もられています。けれどもそれ以降に公開された愛知県のレッドデータブックによれば、生息数は1000頭を切っているとも推測されています。
そんなスナメリ、愛知県の海岸では漂着も珍しくありません。このゴールデンウィーク中の5月4日、渥美半島の三河湾側でビーチコーミング中に、3頭のスナメリ漂着を確認しましたのでお知らせします。 まず最初に見つけたのは渥美半島の先端にある伊良湖岬から700mほど北西にある伊良湖岬海水浴場(ココナッツビーチ伊良湖)でした。海開きはまだまだ先でしたが、伊勢湾や三河湾のゴミが冬の北西の風で多く漂着する場所のために浜掃除が済んでいました。 スナメリのミイラは海岸のテラス上にあったので、浜掃除の折に誰かが引き上げたものだと思われました。このスナメリは体長およそ1mの個体で、ミイラ化したため状態もよく、開いた口には歯も残されていました。 スナメリに背びれはありません。その代わり背中の正中線に沿って高さ2cmほどの隆起が首の後方から肛門の上あたりまであります。この部分がスナメリの特徴で、その部分の皮膚には角質化した小突起が並び、触るとザラザラした感じで鮫肌のように感じます。 この部分には内部に多くの神経終末が分布しているそうで、スナメリの接触時には、この部分でボディコミュニケーションをとるための感覚器官として機能するのではないかと考えられています。
その後、浜歩きを続け三河湾側を東へとビーチコーミングを続けました。すると西の浜では頭部を除いたもので150cmほどのスナメリ骨格が見つかりました。 またハマヒルガオの群落のある江比間でも、漂着物の中に混じって70cmほど繋がったスナメリの椎体がありました。 春はスナメリのストランディングが多い時期といわれていますが、普段陸からは見ることの無いスナメリ3頭との、喜ばしくない出会いとなりました。これから南風が優勢になると、残念なことですが太平洋側での漂着も増えてきます。
]]>
プカプカ通信167・Apr-1-2018
http://ukipuka.exblog.jp/29403214/
2018-04-01T00:16:00+09:00
2018-03-30T21:39:02+09:00
2018-03-30T21:39:02+09:00
uki-puka
プカプカ通信
石川県の南部に位置する片野海岸は、石川県最南端の加賀市にあり、近くには片野鴨池観察館もある自然豊かな地域で、夏場は海水浴場になっています。
片野海岸の北西側は海に面しており、このあたり一帯は大聖寺川の運んだ砂からなる砂丘地形もある場所で、季節によって砂の移動がはげしいものです。
片野海岸から大聖寺川河口のある塩屋海岸までは、およそ4kmの砂浜が続きます。これまでにオウムガイやモダマの漂着も確認されており、秋から冬にかけては興味深い漂着物であふれる場所です。
2017年から2018年にかけての冬場、寒さが厳しく福井と石川の県境あたりでは200cm近い積雪があり、国道8号線が不通になるといった異常事態もあり、足が遠のいていました。3月末になりやっと日中は20度ほどの気温になる日が出てきましたので、久々の石川南部にある片野海岸を歩いてきました。 片野海岸を訪れたのは3月28日、この日は気温も上がり日中の最高気温は20度を超え、非常に暖かかったので、浜歩きをするビーチコーマーとおぼしき人がいたり、浜辺で遊ぶ子供たちの姿もありました。さて、肝心の漂着物ですが、軽く水に浮くプラスチック類を中心とした海ゴミが、海岸の後浜あたりに集積していました。この時季、浜掃除のされてない日本海側の砂浜海岸では、どこもこんな様子ではないでしょうかね? このゴミ集積帯は奥行きは2~5mほどで変化しますが、海岸線に沿っておよそ100mほど続いていました。そんなプラゴミの中には多くのウキが入っていましたので、どのような種類のウキがあるかチェックしてみました。 最初に目に付いたのは灰色のプラスチック製の小型刺し網ウキ。これは長さ73mm、中央部の幅が10mmほどの一体成型ウキで、刺し網に使われたものでしょう。順風・SHUNFENGと船のマークをあしらった刻印があるもので、0.5mmのモノフィラメントのテグスで結わえられていました。これが絡まっていたので本数をカウントしたところ32個あり、そのうち9個は破損したものでした。 次に目に付いたのは韓国製の黒いウキでした。このウキは直径の倍ほどある40cmほどのプラスチック棒に結わえられていることが多いもので、このプラ棒と共に漂着するのですが、このプラ棒の役割がよく分かりません。どなたかご存知の方があれば、ぜひ教えてください。また近年このタイプの漂着は減少傾向にあります。 上にある黒色のプラスチックウキは、直径28cmほどでプラスチックの質感と中央部の横にはみ出した形状からは中国製と思われますが陽刻が全く見られないので確実ではありません。 白い硬質発泡スチレン系の貫通ウキは、浮き球ベースボールで使われる「公式球」ですね。(笑) ちなみに公式バットは流木とのことです。(笑) 耳つき球形ウキは韓国製のもので中央が直径75mm、右が直径60mmのものです。以前はプラスチックの色にバリエーションがあり、カラフルでしたが、最近ではグレーかカドミウムイエローがメインのようで何だか残念な感じがします。 廃棄された発泡スチロール片や、漂着した発泡スチレンに網をかけた手作りウキもありました。廃物利用として浮力の高い発泡スチレンは有用でしょうが、マイクロプラスチック汚染の要因の一つなので気になります。レンガ色の左側のウキは直径が80mmほどの合成ウキと呼ばれるもので、現在では作られてないようです。 刺し網で使われるブルーの紡錘ウキ、オレンジウキ、そして貫通ウキもありました。 日本海側の特色ともいえる白樺ウキも多く見られて、その一部にはフグの仲間がつけたと思われる噛み痕・バイトマークも見られました。
このごろあまり見かけないものが韓国製のわらじウキです。片野海岸で見つけたものはどれも破損していました。 FLOATOPは国産の合成ウキですが、もうこのタイプは作られていないでしょう。 円筒形で中央に貫通穴のあるウキは、一見木製に見えますが、そうではなく、合成樹脂のものです。シンプルなこの形は「ちくわ」状の樹脂をぶつ切りにして作られた感じで古い時代のものでしょうね。これは稀に見かけます。 古びたテトラポッドの脇に打ち上げられていたのは赤と黒とに色分けされた大きなウキ。このウキは直径が45cmもある、いわゆる尺五と言われるものです。 耳の無い球形ウキは韓国製で、ABS樹脂でできています。耳が無いのでこのウキには網がけが必要です。網がけされたこのウキを遠目に見るとガラス玉と間違えることがありました。
およそ1時間ほどかけて、片野海岸のゴミ漂着帯を調査してタイプ別のウキを紹介しました。日本海側の海岸をビーチコーミングで歩き始めて、およそ20年経ちました。以前は数多く拾えて喜んでいたガラスの浮き玉がこの頃はぐっと数が減りました。また木製のウキはほとんど見なくなりました。 一番気になるのはプラスチックゴミの増加です。そんな中でも割れたり欠けたりして細分化されたプラスチック片が砂に混じりこんでいることです。20年前、もちろんプラスチックゴミはありましたが、割れていても大きな欠片であったり、元の形を想像できるものでした。そんな中だったので「レジンペリット」が目立って、とりだたされたわけです。けれどもマイクロプラスチックといわれる砕片が増えた現在では、レジンペレットがそれに紛れ込む状態です。ここ片野海岸でも今の様子は末期的な海の姿を見ているようで空恐ろしくなります。
このエリアの環境汚染では、1997年1月に起きたロシア船籍のタンカー・ナホトカ号事件を思い出します。大量のオイルが流出した事件でしたが、現在のマイクロプラスチック汚染にはそれ以上の脅威を感じています。何せプラスチックの細分化は進むばかりで、マイクロプラスチックの数は増加の一途をたどっていますから。
新たな漂着があるエプソンカートリッジ確認
エプソンのカートリッジインキが福井の浜へ漂着したのを確認したのは、2006年12月のことでした。これは2006年の7月に韓国の沖合いで貨物船のコンテナが海中へ落下し、そこから流出したものが徐々に日本に流れ着いたものでした。その後カートリッジは日本海側の各地で漂着が確認され、2007年9月には北海道の小樽市でも漂着が確認されました。
漂着当初は透明なパッケージに包まれていたものがほとんどでしたが、時間の経過と共に透明なパッケージは外れ、本体だけになり、それでも2010年頃までは頻繁に漂着が各地で確認されましたが、その後は減少し、容器の角が丸まった再漂着のものを稀に見るようになりました。 ところが、2018年3月28日、石川県加賀市塩屋海岸、片野海岸を調査の折にはラベルも真新しい同型のカートリッジを確認しました。これは再漂着ではなく、海中のコンテナからカートリッジの流出が続いていることを示唆するものです。エプソンカートリッジ、新しいものの漂着に留意してくださいね。
.
]]>
プカプカ通信166・Nov-5-2017
http://ukipuka.exblog.jp/28179901/
2017-11-05T16:47:00+09:00
2017-11-03T17:02:27+09:00
2017-11-03T17:00:40+09:00
uki-puka
プカプカ通信
今年の春から秋にかけての渥美半島表浜、台風などの影響もあり、台湾モノを中心に、そこそこ漂着物は寄りましたが、海豆類、それに青い浮く貝・・・アサガオガイの仲間はさっぱりでした。
今季の特徴としては、台湾製品の漂着が多く、数多くの台湾語表示のライター、薬の入った茶色の三稜壜(台湾では三角壜と言われています)、それに羊乳壜も数多く見られました。あと、海豆は少なかったものの、モモタマナ、ビンロウジュ、ハマナタマメなどはよく見かけることができました。そしてガラス玉はたった一つを見つけただけの寂しい季節でした。
さて、そんな中で見つけたベトナムのキャンディー浮きは、浮子綱に付着したままの状態で見られたので、そのレポートをします。
この漁具は、刺し網の浮き部分と思われますが、ネット(魚網)の付着がありませんでしたので詳しいことは分かりません。 この浮子綱は全長が2.5mほどで、その中に7個のキャンディー浮きが結わえられたものでした。結わえられていたキャンディー浮きの間隔はおよそ30cmで、浮子綱は直径が2mmほどのものフィラメントナイロンと、直径が3.5mmほどのナイロンロープが使われていました。
この漁具、よく見ると使われていたキャンディー浮きは1種類ではなく、何と3種類もありました。その浮きについて書いてみます。 タイプA
タイプB
上に示したタイプは異なり、Aには陽刻がありませんが、Bには見られます。また、どちらも中央部には浮子綱にあわせた凹みが、両側に通っていました。サイズはAが93×28×23mm、Bが79×27×22mmでした。使われていた数はどちらも一つずつでした。素材はどちらもABS樹脂でできており、最中の皮状の二枚接着でした。
タイプC
浮子綱を外したタイプC
さて、残りの4個は昔からのタイプと思ったのですが、よく見たら違う!!素材はソフビタイプの一体成型なのですが、これも中央部には浮子綱にあわせた凹みが、両側に通っていました。やはり、キャンディー浮きでも、進化していますね。サイズは77×25×23mmです。ちなみに陽刻はKHANH THU?Nで、グーグル翻訳によれば、意味は「秘密」だそうですがどんな秘密なんでしょうか?ちなみに文字の下には二匹の魚が描かれていました。
タイプCの二匹の魚模様
タイプCの浮き、ロープを外した写真を見ると、ロープのかけてあったあたりが、ピンク色になっているのが分かりますか?これは結わえてあった部分がロープによって保護され、色が残っていたようです。そうなると、元の色はピンク・・・となりそうですが、紫外線による長期間の劣化によりこうなったもので、元は赤色の可能性が高いでしょう。
つい、プラ浮きということで、見逃すことの多いものですが、チェックは必要ですね。これからキャンディー浮きを見つけたら、中央の凹みをチェックしてね。
陶片探しは、マッドラーク? はやししげお
今年、入手した本に、Ted Sandlingさんの著したLondon in Fragments・A mudlark's treasuresという本があります。これはテムーズ河のほとりを歩き回り、陶片を中心とした過去の遺物を探し出すものでした。陶片狂さんが生きてみえたなら、狂喜乱舞間違いなしの本です。ここで副題にあるMudlarkが河川で、陶片などを探すことのようです。そうなると、陶片狂さんのされていた、川あさりは、まさにマッドラーキングですね。これについては、Youtubeでも検索すれば、様々な動画を見ることができます。この本の紹介はすでに、ブログのNo Photo No Lifeにもありますので、興味のある方はどうぞ。URLは、http://tideline.exblog.jp/25822777/
河川でやれば、マッドラーキングでしょうが、オレはやはり海でやります。干潟や港ではやはりビーチコーミングですね。(笑)
さて、ちょっと日本海がまだ寂しい端境期には、愛知の内湾をビーチコーミングしています。これまでは知多半島がメインでしたが、最近では三河湾にも手を伸ばしています。
さて、三河湾ではやはり大潮の干潮時が狙い目ですね。こうした内湾では干潮時、それも大潮の時には、普段見られないものが見つかります。歩いた場所は、昨年亡くなられた陶片狂さんこと久保さんが好まれて歩かれたような、漁港の脇の浜です。堤防あたりを猫が歩き、冬の温かい日には、南向きの堤防では婆さんが日向ぼこしてそうな浜辺でした。
この浜辺を歩いて気になるものを見つけました。それは陶製の錘です。この錘の直径は53mm、中央に貫通した穴の直径は23mm、高さ60mm、土の質や、釉薬からは、かって土管などに使われた常滑焼の雰囲気がしました。 これまで、あちこちの漁村や浜辺を歩き、様々なタイプの土錘を見てきましたが、このようにシンプルな円筒形は初めてです。ほとんどの貫通型の土錘は、縁の部分の角を落として俵型にしてあったりしますが、これは糸で切り落としただけの形でした。 そんなわけで縦に置いても座りが良いのです。そこで思いついたのは、この土錘を用いて、一輪挿しにすることでした。試験管を挿入させましたが、あまりにも背が高く不釣合いなため、直径21ミリのアクリルチューブが手元にあったので、その片側を埋めて処理をして、こうした一輪挿しが出来上がりました。]]>
プカプカ通信165・Jul-30-2017
http://ukipuka.exblog.jp/26852499/
2017-07-30T13:38:00+09:00
2017-07-30T13:38:34+09:00
2017-07-30T13:38:34+09:00
uki-puka
プカプカ通信
2017年7月初旬、西南北海道の日本海に浮かぶ奥尻島に行ってきました。2012年以来なので、5年ぶりとなります。奥尻島は、周囲68km、面積143?のかなり大きな島です(写真1)。
写真1:奥尻島全図瀬棚港からフェリー(約1時間40分)で島に渡りました。奥尻港にフェリーが到着すると、地元のゆるキャラ「うにまる」くんが大いに歓迎してくれました。
今回の目的は奥尻島の海岸に見られる奇岩の調査と、内陸の釣懸層(17?15Ma:1700?1500万年前)で最北のビカリア化石を採集することです。まずは奥尻島の奇岩を二三紹介しましょう。奥尻のシンボルといえば,奥尻港から見える岩です(写真2)。
写真2:鍋釣岩1993年北海道南西沖地震の時に、“”の一部が壊れましたが、今は修復されています。この岩は仏沢層を貫く角閃石安山岩の岩脈(3Ma)です。また、西海岸で目立つ奇岩といえばホヤ石でしょう(写真3)。
写真3:ホヤ石
奥尻の海でも採れるマボヤに似ていますが、食用にはなりません。この岩も米岡層を貫く角閃石安山岩の岩脈(3Ma)です。さらに西海岸には、ユニークな奇岩モッ立岩が見られます(写真4)
写真4:モッ立岩
いわゆる陽石にあたり、特に説明は不要でしょう。奥尻町HPには、多少詳しい説明があるのでご参照下さい。この岩は白亜紀中期(95Ma)の花崗閃緑岩です。
次に奥尻に伝わる伝説と地形・地質との関連をみてみましょう。まず奥尻誕生は、源義経が生き延びてエゾまでやってきたという〈義経伝説〉と関連があります。
奥尻島(イク・シリ=向こうの島)は、日高地方でアイヌの娘をだまして魔法の巻物を奪った義経が、アイヌの追っ手をさえぎるために魔法で出した島だそうです。渡島大島、渡島小島を出しても追っ手がせまったため、奥尻島を出したらとうとうあきらめたということです。
地質学的にみれば奥尻の誕生は大陸から日本列島が離れ、新第三紀中新世(17?15Ma)に日本海が誕生した時、古日本海(=多島海)に浮かぶ島のひとつだったのでしょう。その当時、奥尻は古黒潮が洗う亜熱帯の海岸でした。島の東部に分布する釣懸層(写真5)からは北限の巻貝化石ビカリアが見つかります。
写真5:釣懸層
今回、採集したほぼ完全なビカリア化石(写真6)は、同行した学芸員のE君がクリーニング中です! 写真6:ビカリア化石
島の西岸、藻内海岸の沖合の無縁島(玄武岩?ドレライト:34Ma)には、悲恋話としてしられる無縁島伝説があります。能登の流れ者清次郎は島の娘歌子と恋仲になりますが、男の裏切りで打ちひしがれた歌子は身を投げてしまいます。数年後、それを伝え聞いた僧侶無縁は、歌子を弔うために奥尻沖の室津島(安山岩)で座禅を組みますが、荒波に飲まれて小島で息絶えます。この僧侶こそが清次郎で、のちに小島は無縁島とよばれるようになりました(写真7)。 写真7:無縁島
この世では結ばれなかった清次郎と歌子ですが、二人は海岸の岬で結ばれ、清次郎歌岬(火山角礫岩:3Ma)として、奥尻の海を見つめ続けています。これらの島や岬はいずれも海底火山の噴火活動でできたものです。
奥尻の北端・稲穂岬は、古くから海の難所として知られていました。海難事故で亡くなった人々を追悼し、船旅の安全を祈願して、地蔵が作られました。それに加えて海辺には累々と小石が積まれ、賽の河原とよばれるようになりました(写真8)。 写真8:賽の河原道南五霊場のひとつとされ、パワースポットとしても知られています。海辺に積まれた小石の大半は、白亜紀の花崗閃緑岩で、約1億年前の小石がこの海岸一帯に集中てているのも何か不思議な縁を感じます。
なお奥尻の海岸も歩いて、漂着物や打ち上げ貝も採集してきました。チリボタン、カズラガイ、バイなど北海道ではめずらしい暖流系種も見つかりました。
これらについてはいずれ、会報か学会誌で報告したいと思っています。
真夏のビーチコーミング はやししげお
今の季節、真夏は北海道などにお住まいの方はともかく、本州中部に住んでいる私には、普通に浜を歩けるものではありません。何せ暑い!熱い!日差しもジリジリ、そして砂も熱くなり、昼間はまともに歩けません。まだ海水に浸かれば気持ちがよいので、海水浴ですね。ただこれもUV対策必須ですが・・・(笑)そしてSPF+++++など強いものを使っても、洗うのが下手なオレは拭き残しがあり、ムラになったり難しいものです。 先日、久々に静岡県の御前崎に行きました。我が家からはかなり距離があるので、ちょっと早めに0時ころ出発して、4時前に到着。車内で休憩しながら夜空から夜明けへ移り変わる光景をうたた寝しながら、見ていました。そしてお日様にできるだけあたらないように、浜歩き。これなら快適です。(笑)そして御前崎あたりは海岸段丘になっているので、太陽が昇る途中に日陰になっている浜を探してのビーチコーミング!それでも、8時ころから日陰はまったく無くなりました。こればっかりは、仕方ないですね。そして御前崎市の図書館で開催されていたアカウミガメの写真展を見せていただきました。暑い時期、皆さんも無理なく海を楽しんでくださいね。]]>
プカプカ通信164 ・ June-10-2017
http://ukipuka.exblog.jp/26689189/
2017-06-10T00:49:00+09:00
2017-05-26T00:00:06+09:00
2017-05-25T23:58:02+09:00
uki-puka
プカプカ通信
北海道様似町 田中マサヒト
それは偶然の出来事だった。5月19日15:03 私と林さんのフェイスブックにある記事が添付されたのです。
伊達市に住む加藤耕平さんからでした。もちろん加藤さんも漂着物学会の会員です。加藤さんの添付したFB「有る所には有るんだなぁ・・・ 襟裳の漂着物学会と、様似の大漂着物展でしか見た事の無い物が何気にぶら下がってる。Shigeさん、田中さん、ヨダレ、ふいてふいて!!」その文章にガラス玉のタワーが写った写真が添付されていたのです。 タワーの上の方には、ジャンボローラー(まくら玉)が二個、その下に尺五玉が一個、その他沢山写っていたのです。 するとカレー屋さんを営む徳野郁美さんがコメントで「田中さんが欲しいのはどれ!?」と~・・・私は「もちろん。長~いやつですよ~・・・!」と答えると「プレゼントします」とかえってきました。・・・でも半信半疑!もしかして、ちっちゃいシリンダーかも?・・・と思っていたら、メールが来て「間違ってたらガッカリさせるから写真送ります。」と~・・・間違いなく、ジャンボローラー(まくら玉)の写真が添付されていました。
電話をすると「明日は、用事があるので、明後日お店に持って来るから来てください。」とのこと・・・でも、いざとなると、持ってくるときに落とさないかな~とか、このFBを見た人が先に手を付けないかな~とか心配になっていました。
すると夕方、ピンポーンと玄関のチャイムがなり徳野ママが「庭に転がしてたら孫たちが壊す心配があるので持ってきた。」
と・・・間違いなく、まくら玉(ジャンボローラー)でした。
DREAMS COME TRUE 信じていてよかった~・・・!!!
From Editor
願えば、夢は叶う!のステキな例ですね。FBで浮き玉タワーの写真が公開されたときは非常に驚きました。ぶつかったら割れてしまうし、加藤さんによれば、下のほうには割れたものもあったそうですから。
そして、夢を叶えるために田中さんはFBに、「まじ、くれ~・・・!」と素直なコメントをしました。その後は、田中さんの記事のとおりですね。あぁ、羨ましい!(笑)
上にある田中さんのポートレート、これ浮き玉に詳しい人なら分かりますよね。浮き玉のバイブルBeachcombing for Japanese Glass Floats を著したAmos Woodさんへのオマージュですね。バイブルの4版(1985)をお持ちなら、P31をご覧ください。お持ちで無い方は、下の写真をご覧あれ。 Amos Wood著 Beachcombing for Japanese Glass Floats 4版の31pと表紙
欲しいものがあれば見栄など張らず、自分の気持ちに正直になって「まじ、くれ~・・・!」と言わなきゃいけませんね。
様似の田中さん、定年後も再雇用でアポイ関連で忙しく働いてみえますが、このジャンボローラー入手で、またウキウキ熱が高まるかもしれませんね。
ブックガイド Keiko's Bubble Janet Lewis著 Kazue Mizukami挿絵
Doubleday Books. 1961 New York.63pp はやししげお
ダブルデイブックスは、若い読者向けの本を多く出していたようで、このKeiko's Bubbleは、日本の漁村風景の中で、若い娘さんの生活を描いたもので、挿絵は日本人が描いたものです。
主人公のKeikoさんは、富士山を望む静岡県の漁村(挿絵をもとに考えると駿河湾に面した富士川と御前崎との間と思われます)に暮らす小学生で、お父さんは漁師でした。
彼女はほかの子と同じように、ひな祭りのプレゼントに人形が欲しかったのですが、お父さんが与えたのは、大きな浮き玉でした。
そしてKeikoさんは浮き玉をお父さんに貸しました。すると漁の調子が良くなり、周りが不漁の時季でも好漁となりました。毎日港に父の帰りを迎えに行ったKeikoさんは自分の浮き玉を「びん玉さん」と呼び、一家に幸運を与えているのを喜んでいました。そんな「びん玉さん」は、ある嵐の日に網から外れ、流れ出してしまいました。浮き玉を失ったKeikoさんは学校の先生に行方を尋ねたところ、先生は「黒潮に乗って旅を続け、5ヶ月ほどでアメリカのカリフォルニアに着くかもしれない。カリフォルニアには、そんな浮き玉がいくつもやってくるんだよ」と話してくれました。(すごい先生がいたもんだ!) そんな話に驚き、目を見張るKeikoさんでした。そして翌年のひな祭りに父から念願の人形をもらったKeikoさんは、無事カリフォルニアに着いたのかな?と「びん玉さん」の行方を気にかけている・・・そんなストーリーでした。
興味のある方は、アマゾンなどで探してみてくださいね。
.
]]>
プカプカ通信163号・May-10-2017
http://ukipuka.exblog.jp/26640760/
2017-05-10T00:02:00+09:00
2017-05-07T00:13:37+09:00
2017-05-07T00:13:37+09:00
uki-puka
プカプカ通信
Dirt Work ・Christine Byl 三木直子訳 築地書館 はやししげお
アメリカの大学を出て、大学院進学までの一種の「つなぎ」のつもりで、ひと夏を国立公園の「トレイルドッグ」と呼ばれる整備の仕事をすることになりました。決して体が大きいわけでもない彼女は、その体力的なハンディを克服し、「つなぎ」で始めたその仕事に生きがいを見出すようになり、モンタナ州と、アラスカ州の国立公園の大自然の中で十数年間、トレイルドッグとして厳しい肉体労働に従事しました。斧の振るい方や、チェンソーのエンジンのかけ方さえ知らなかった彼女は、やがて男性陣を配下に従えるリーダーに成長していきます。その過程を通して彼女は自然と向き合い、さまざまなことを学びました。
原書の題名は、Dirt Work:An Education in the Woodsとあり、陳腐な「斧・熊・ロッキー山脈」とは意味が違います。また副題にはEducation in the Woodsとあるように、ソローの森の生活Walden:A Life in the Woodsほどの格調高さはありませんが、今風のネイチャーライティングと言えるでしょう。
私がこの本を目に留めたのも、手にとってページをめくっていたときに見つけた、野性とは何か?と言うところに、ソロー、スナイダー、ディラード、アビーといったアメリカのネーチャー系ライターの文字が並んでいたことでした。そしてトレイルドックに関する描写のディテールが詳細なところも気に入り、レジに向いました。でも、そんなところで、これをプカプカに紹介しませんよ。(笑) こんな描写もありましたので一部抜粋します。
「五時半きっかりに興味は別のことに移った-ビーチコーミング[浜辺で貝殻やさまざまな漂着物を拾うこと]だ。アラスカ湾に面した沿岸で人気の娯楽である。アラスカ湾の浜はゴミだらけだ。空になったオレンジジュースの瓶、壊れた電化製品、プラスチック文化が生んだガラクタの数々。でもそうしたガラクタに日本の漁船の網についていたガラスの浮き玉が隠れていることがある。アラスカ湾を漂流して、嵐の後に浜辺に打ち上げられた宝物だ。この辺の家のポーチにそれがぶら下がっているのを見たことがある-青、緑、透明のもの。オレンジくらいの大きさのものもあればバスケットボールくらい大きいものもあるし、ときにはフジツボがくっついた網に絡まったままのものもある。実はダンは浮き玉拾いが趣味だった。最初の日の午後、浜までぶらぶら歩きながら、ダンは浮き玉拾いの歴史を説明してくれた。これまでいくつ見つけたか、どの浜で、どの季節に探すと一番収穫が多いか。「一番珍しいのはさ」とダンが説明した。「ローリングピンっていうんだ」。それはホットドッグのソーセージくらいの大きさの、細長い浮き玉で、両端に網をひっかける小さな凹みがある。「ここに住むようになってからずっと探してるんだ、十三年だぜ」
十分後、私の爪先が砂に埋まったロープの結び目に当たった。蹴ると、青いガラスがキラッと光るのが目に留まった。私はそれを砂の中から掘り出し、細長いそれを拾い上げて砂を払い、ダンに見せた。「これローリングピン?」
「ウソだろ!」とダンが言った。「ウ・ソ・だ・ロー!!」彼はそれを掴むと私を見、ローリングピンをひっくり返し、私に返して頭を振った。私はあげると言ったが、彼は拒んだ。自分で見つけなければダメなのだ。そんなことは言われなくてもわかった。それ以来私は浮き玉拾いにハマった。
前の夜の嵐のおかげで収穫は大きく、私たちは三人では持ち帰れないほどの浮き玉を見つけた。戦利品を持ち帰るため、私たちは三人のトレーナーの袖を結んで間に合わせの袋を作った。ローリングピンを見つけたのは私だけ。私は子供の頃、ミシガン州の湖の岸辺で珊瑚の化石を見つけるのが上手かったのを思い出した。見つけると父親が「すごいぞチビ!」と得意そうに叫び、私は照れながら、誇らしさで一杯になったものだった。
ポーチを造り終わると、私たちは浮き玉を手摺に並べて、太陽にきらめく日本製の曲線を写真に撮った。ダンは、一日の収穫量ではこれまでの最高に近い、と言った。
こうしたディテールで、公園整備の様子や、トレイルドッグとしての活動、そして交わされる下ネタまで描かれているので、アウトドアに興味のある方なら、楽しんでいただけると思います。
ブックガイド ヨーガン・レール著 On the Beach 1・2 はやししげお
みなさん、ヨーガン・レールさんをご存知でしょうか?ヨーガン・レール(Jurgen Lehl)さんは1944年ポーランド生まれのドイツ人で、1971年に来日後に自分のアパレルブランドを立ち上げられました。2000年ごろより沖縄の石垣島に移住され、近年は毎日の日課であった浜辺のプラスチックゴミ拾いで集めた材料を用いた照明作りなどもされていましたが、残念ながら2014年に自動車事故で帰らぬ人となりました。 2016年の10月から2017年の2月にかけ、青森県の十和田市現代美術館で「On the Beach ヨーガン レール 海からのメッセージ』展が開催されました。ここでは、彼が作った照明器具やら写真の展示があり、観覧に行きたかったのですが、忙しかったのと、遠隔地ゆえ諦めていました。そんな折に、知人から紹介されたのがこの2冊。この本は写真集です。ほとんどテキストも無く浜辺や漂着物、そして漂着物から作られた照明器具などがモチーフになっています。Vol-1は、石垣島の浜辺や漂着風景、それに照明器具などが載っています。
Vol-2は何とほとんどが漂着したビーチサンダルです。このサンダルばかりの写真集はスゴい!ぜひどこかで見られることをおススメします。
石垣島からやってきたガラス玉 はやししげお
4月になりしばらくした頃、石垣島の佐々木さんから小包が届きました。厳重に封をされたガムテープを丸めたらボールができるほど!中のクッションも目イッパイ入っており、これは浮き玉だな~!と思わせる梱包でした。(笑) 梱包から出てきたのは、網がけのされた緑色のガラス玉でした。よく見ればガラス玉にはヘソ(シール部分)が無く、直径6cmほどの穴が開いていました。
佐々木さんにお礼の電話をしたところ、興味深い話がうかがえました。このガラス玉は2005年ごろに小樽へ行った際に、浅原ガラスを訪ねたが工場は操業しておらず、浅原陽治さんがみえ、道路から入った右手にある事務所で壁にかかっていたこの緑色のガラス玉をいただいてこられたという話でした。浅原ガラスでは、雪明りの道で使う運河に浮かべるガラス玉を作っていましたがこんな緑色の玉を吹いていたことは知りませんでしたし、網がけの方法も浅原が今行っている結びでは無かったので、「他のメーカーで作られたものではないかと思う」と私の見解を述べました。
そして、ちょっと気になったもので、小樽の浅原ガラスで今も浮き玉を吹いている浅原宰一郎さんにも尋ねてみました。
宰さんによれば、やはり網がけの方法は違うが、直径18cm・六寸の玉で口の切り方や処理の方法など同じなので、浅原で作られたものの可能性が高いとのことでした。
気になっていたガラスの濃い緑色についても教えてもらいました。現在は蛍光管のガラスカレットを原料にしていますが、以前に炭酸飲料のスプライトの廃壜を原料にしていた時もあったので、この色はそこから来ているのではないかと言うことでした。やはり現場の方のお話は役に立ちます。なお、ロープが写真のように麻系のもので網がけされたものは漁業用ではなく、おみやげ物、ディスプレイ用と考えてよさそうです。
.
]]>
プカプカ通信162・Apr-10-2017
http://ukipuka.exblog.jp/26564645/
2017-04-10T18:56:00+09:00
2017-04-07T19:47:38+09:00
2017-04-07T19:20:47+09:00
uki-puka
プカプカ通信
この頃では、ちょっと忘れかけていたオレンジ浮きですが、この冬に驚いたことがありました。プラスチック貼り合わせで作られたオレンジ浮きですが、これまでにも陽刻のバリエーションは豊富で、新たなものが出てきたとか、そんなことでは驚きません。(笑) それはホームページの登場です。「オレンジ浮きコレクション」と言う、オレンジ浮きに特化したサイトなのです。そのサイトはここ!Https://sites.google.com/site/orenjiuki/home 北海道で集められたオレンジ浮きを表面、裏面ともにきれいな写真におさめて公開してあります。作者に関しては明記してありませんが、「こんなものを見た」の野村さんではないかと推測しています。「オレンジ浮きコレクション」を見ると、よくぞこれだけ多くのオレンジウキが北海道までたどり着いてるものだという感を強く持ちました。対馬暖流恐るべし!なのですが、それだけ多くのプラスチックごみが広範囲に漂流を続け、世界中に広がっている証拠でもあります。オレンジ浮きに興味のある方は、ぜひこのサイトをご覧ください。 さてお次は、この冬に若狭や福井の浜で見つけたオレンジ浮きの紹介です。一番上にあるのは欠けていますが、新たな1号浮きです。 下は新たに見つかった陽刻で、これまであった「大」に追加がされたものです。追加された文字のうち「仁兴」は地名と思われ、台湾や香港にもある地名です。もちろん、地名ではないかもしれませんが・・・(笑)最近はオレンジ浮きの漂着も少な目で、あまり注目してなかったのですが、まだまだ使われているようで、新たなバリエーションが出ています。
福井に漂着したポリタンク はやししげお
この冬、日本海側のあちこちでポリタンクの漂着が騒がれました。2017年2月17日、島根県益田市の海岸でおよそ250個のポリタンクが漂着したそうです。3月はじめの朝日新聞によれば、島根県内だけでも2300個超のポリタンクが漂着しているそうです。3月3日付けの富山県ニュース・リリースによれば、富山県内では2個とのことですが、他県の情報もありました。石川県:962個(3/2)、福井県:81個(3/2)、新潟県:137個(3/2)京都府:229個(3/2)、兵庫県:154個(2/27)鳥取県:358個(2/28)、島根県:2,115個(2/28)、山口県:2,064個(2/27) ポリタンクの漂着が多い県では、数千個と言う数が漂着しているのですが、この時点でも福井県では81個との情報でなぜか少ないのです。ただ、定量調査を行わず、感覚的に見ると、この福井の81と言う数字は、やけに少ないもので、漂着物の中に含まれる割合などから見ても、少なくともこの2~3倍はこの時点で漂着していたと思われます。ただこれは取り立てて多いのではなく、例年並みという感じでした。 3月18日、調査で若狭地方の海岸を歩きました。この日、廃炉問題で話題になっている高速増殖炉・もんじゅの見える敦賀市白木の浜に降り立ったところ、波打ち際に漂着したばかりと思われるポリタンクの姿が見えました。数えてみれば青17、グレー3、白3、黄色1の合計24個。白木の砂浜はおよそ200mありますので、これは単位あたりでも多い数になりますね。 次に歩いたのは礫浜と磯がつながる美浜町の弁天崎、ここはおよそ150mほどの範囲に青のポリタンクが12個確認できました。
最後に歩いたのは美浜町の久々子海岸、ここでは浜掃除の行われていないおよそ400mの範囲を歩き、青32、白15、黄色7、緑7、グレー2、赤1、黒1、の合計65個と非常に多かったです。三箇所の合計は101個となりました。 また、10mあたりの漂着数は、白木・1.2個/10m、弁天崎・0.8個/10m、久々子・1.63個/10mで、そして全体では1.34個/10mでした。 4月1日、ポリタンクの多かった久々子海岸に行ったところ、ポリタンクなどの大きなプラスチックゴミは集められ、ネットがかけられた状態でした。日本海だけではなく海ゴミの問題は大きな世界の問題でもあります。今のこの状況は、この先どうなるのか、全く不透明で先の明りが全く見えません。]]>
プカプカ通信161・Feb-20-2017
http://ukipuka.exblog.jp/26386269/
2017-02-20T20:44:00+09:00
2017-02-07T21:39:44+09:00
2017-02-07T20:59:55+09:00
uki-puka
プカプカ通信
去年の5月30日に福岡の石井忠先生が亡くなられました。葬儀の連絡は入りましたが、まだ仕事の忙しい時季で、弔電と香典を郵送しただけで参列はかないませんでした。そしてこの1月に、九州大学の清野聡子先生から、福岡の糸島でビーチコーミングの講演をして欲しいと頼まれました。福岡と言えば、石井先生のお膝元ですから漂着物の好きな方も多いはず。せっかくなので石井先生から渡された「漂着物の布教のバトン」を誰かに伝えられたら・・・とお引き受けすることにしました。糸島の海岸を案内して頂き、その翌日に糸島市でおよそ80名の方に来ていただき講演をすることができました。
講演翌日、清野先生、石村さん、坂本さん、脇さん、それに私の総勢5名で、石井先生のお宅を訪問することができました。
石井先生宅では、奥様の静子さんが我々を迎えてくださいました。奥様のご様子も気になっていましたが、お元気そうで一安心。訪問する我々のためにフルーツケーキを焼いて歓待して頂き、恐縮してしまいました。
石井先生のお家は、浄土真宗で法名は釋海忠というシンプルなものでした。奥様の許しを得て、仏壇から取り出し写真を撮らせていただきました。先生が亡くなられ、お家にも変化があると思っていましたが、驚くほど変化が無くほとんど前のままで、石井先生がふと出てこられても不思議の無い雰囲気でした。お位牌を手にとり、抱きしめ、やっとお別れを告げることができました。
福井県嶺南部プラスチック製飲料水容器漂着調査 はやししげお
福井県敦賀市と西に隣接する美浜町は、若狭湾に面する海岸があり、夏場には海水浴場として知られているが、冬季には閉鎖され、訪れる人は釣り人や海を見に来た観光客などで、その数は少ない。敦賀市と美浜町は若狭湾の奥に位置しており、北西の季節風の卓越する冬季には、風圧流と吹奏流によって漂着した軽いプラスチック類を中心とした漂着ゴミが多く見られる場所でもある。2017年2月4日、快晴で風も弱く、最高気温も11度と安定していたので敦賀市と美浜町の8箇所の海岸で調査を行った。
調査方法
海岸で漂着物の多い打ち上げ帯に沿って歩き、ラベルが残り生産国が判明しているペットボトル、プリントが鮮明で生産国が判明しているコップ型コーヒー飲料容器の個数を100個目まで数えた。どの海岸にもこうした容器は大量にあり、生産国が判明した数は100以上に上がったが、100個目までとした。またラベルが外れたり、プリントが不鮮明で生産国の判別が難しいものは除外したが、その数は、判別できたものの3倍以上あった。 調査した容器の一例(松原海岸)
調査地概要 調査した敦賀は福井県の中央部にあたり、敦賀以西が嶺南と呼ばれ、かっては「若狭」という地域区分にあった場所である。また沈水地形によってできたリアス式海岸が続く。
調査地点はどの海岸も、北~西側が海に面しており特に冬季は風の影響を強く受け、漂着物の多い場所である。
東側が海に面した海岸には漂着物が顕著ではないので、この調査では省略した。 1敦賀市杉津横浜
陸けい島の杉津の東側に広がる浜で、国道8号線からわき道に入る場所となる。
西側の杉津から、横浜を過ぎ、東側の大比田までおよそ1kmある。
海岸の沖合いには離岸堤が設置されている。
海岸の西側は泥質な傾向が強い。
2 敦賀市五幡
国道8号線に沿った浜で、非常にアクセスがよい。日本の製品がもっとも多く、道路側から投棄されたものが多いと思われる。この浜への流入河川が2本あることも日本製品の多さに関係していると思われる。
泥質な砂浜傾向があり、浜の斜度も緩く、非常に多くの漂着物が集まる傾向がある。
海岸の沖合いには離岸堤が設置されている。
3 敦賀市鞠山
国道8号線からわき道に入った場所にある海水浴場で敦賀の市街地から間近である。
この場所は敦賀から最も近い海水浴場であり、駐車場の広さや収容台数も多く、夏場には海水浴場で賑わうが、冬場は駐車場の多くが閉鎖されている
海岸の沖合いには離岸堤が設置されている。
泥質な海岸であるが一部養浜で白砂が入っている箇所もある。
4 美浜町ダイヤ浜
県道沿いの浜で、県道脇に駐車しやすく冬場にはサーファーが多い。道路側から投棄されたものも多いと思われる。
この時季には写真にあるようなホンダワラ類の漂着も多い。ダイヤ浜の南部には岩礁もあり、巻貝の漂着も目立つ浜である。
基盤岩の花崗岩が風化したマサ土が海に注ぎ込み石英や長石を含む砂礫からなる海岸である。
5 美浜町水晶浜北
県道沿いにあるが、駐車台数は限られ、使う人は少なめである。また道路から汀線までは20mほどあり、道路側からの投棄は少ないと思われる。
この浜の北側には花崗岩の岩帯があって西側の海に向けて突き出す自然突堤となり、その根元には漂着物が集積する傾向がある。
基盤岩の花崗岩が風化したマサ土が海に注ぎ込み石英や長石を含む砂礫からなる海岸である。
6 敦賀市白木
敦賀半島の北に位置し、観光地ではないために冬季訪れるのは釣り人ぐらいである。そのため陸からの投棄は少ない。また浜の北側が海に面している。
敦賀半島の先端に位置しているため沖合いの漂着物が他の場所よりも早く漂着する傾向がある。
基盤岩の花崗岩が風化したマサ土が海に注ぎ込み石英や長石を含む砂礫からなる海岸である。
海岸の沖合いには離岸堤が設置されている。
7 美浜町城ヶ崎
敦賀半島西側の海蝕崖下に位置する。県道脇の浜ではあるが、駐車スペースもほとんど無いので、道路側からの投棄は少ないと思われる。
このあたりには中生代の堆積岩と変成岩からなる磯が続き、砂浜は無い。
位置的に大型の漂着物が流れ着きやすい場所で、2017年1月にも北朝鮮の木造船が漂着した。
8 美浜町松原
国道からは離れているが、浜の脇に堤防道路が走っている。ただ冬季に浜を使う人は釣り人と散歩の地元の方ぐらいである。
若狭湾の最も奥に位置する海岸の一つであり、自治体により冬季も重機を用いた浜掃除が行われる場所である。この浜の東側に流れ込む耳川によって運びこまれた砂と礫からなる海岸である。
海岸の沖合いには離岸堤が設置されている。
まとめ
2月4日の調査では、8ヶ所で合計800本のサンプルを確認した。全量から見ると、日本製が352個・44%と最も多く、続いて韓国製が239個・30%、中国製が193個・24%、ロシア製が13個・2%で、その他の国ではシンガポール、タイ、ベトナムからそれぞれ1個ずつ確認できた。
当然のことながら日本製の数が最も多かった。その要因の一つはアクセスの良い海岸や、河川の流入する場所に日本製が多く見られ、国道のすぐわきにあり、小さいながら二本の河川も流れ込む敦賀市五幡海岸では日本製が60%を上回った。また都市部から離れた半島の先端部にある白木では日本製が30%未満となった。
日本製が多く見られた二つ目は、経時変化によるラベルやプリントの退色劣化や、ラベルの破損による識別不明がある。今回カウントできなかったラベルの無いものやプリントの不鮮明なものはカウント数の3倍以上あった。漂流時間が短い生産国での調査につき、日本製のカウントが多くなる傾向があると思われる。
外国製品の中では最も韓国が多く、身近な隣国でもある所以であろう。次に多かった中国であるが、調査地点においては韓国よりも優位に立った地点が二箇所あり、今後も動向を見守りたい。ロシア製品は2%と少なく、この地域では稀な漂着物と言えるだろう。
.
]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/