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ウキウキ研究会の会報「プカプカ通信」の一部をwebで紹介します。
by uki-puka
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プカプカ通信154 ・ June-10-2016

プカプカ通信154 ・ June-10-2016_c0057167_18152534.jpg
                 2006 長者ケ原遺跡にて

 私たちが敬愛する石井先生が5月30日、心不全で78歳でご逝去されました。心よりお悔み申し上げるとともに,多くの寄稿を頂いたプカプカ通信では追悼号にさせていただきました。



 昨年の徳島での学会の時、林さんともう一度、石井先生のところに行きたいね~と話をしていました。 気さくで、ちょっとお茶目な爺さん。北海道大会の時にあちこちと見学していて、お昼ご飯が遅くなった時、「ひもじいな~」と何度も発言されたので、いつの間にか私たちの仲間内では「ひも爺さん」と言われるようになりました。 様似での講演会や懇親会での思い出をはじめ、福岡大会の時にお宅にお邪魔して、私設博物館を見せていただいたり、ドリアンを頂いたりと思い出はつきません。 2004年の京都丹後大会から2010年の福岡大会の7回学会でご一緒させていただきましたが、いつもニコニコされ、誰にたいしても隔たりなく接して声をかけられる先生でした。 本当にもう一度お会いしたかった・・・もう叶いませんが~・・・ 心からご冥福をお祈りいたします。安らかにお休みください。
ウキウキ研究会 北海道支部長 田中マサヒト
プカプカ通信154 ・ June-10-2016_c0057167_18175296.jpg
              2010年11月 石井先生の海の館にて


            惜別・石井忠先生   はやししげお

 先生のことを思い出せば、多くのことが次から次へと脳裏に浮かび、際限がありません。偉ぶるところの全く無い石井先生、誰にも同じように対応され、多くの人に愛されていて、どの総会の宴などでも常に人だかりの中心にみえました。私は総会だけではなく、数々の総会の下見や講演などにご一緒させてもらいましたが、そのスタンスは変わらず、いつも人気者でおられました。 最初に先生の名を知ったのは、1981年8月に小学館から発行された雑誌・Be-Palの創刊2号でした。ここで「ビーチ・コーミング 漂着物採集行のすすめ 日本の第一人者、石井忠さんに逢ってきた。」と言う3pに渡る記事からでした。このときの先生は44歳、まだ男盛りで脂ぎったイメージでした。ここで先生の名前は脳裏に深く刻まれました。その後、朝日文庫の「漂着物事典」、平凡社の「渚の民俗学」を買い求め、石井ワールドに引き込まれていきました。そして1999年のGW、近所の本屋でその年の4月末に出たばかりの「新編・漂着物事典」を見つけました。ハードカバーになったくらいかな?と手に取れば、新知見が満載で決定版!この年のGWは、これを読んで終わりました。わたしは幼少時から愛知県の知多半島で遊んでいましたが、この本の影響で浜歩きを再開し、漂着物にのめり込み、2001年に創設された漂着物学会に入会し、2002年の福岡大会で石井先生にお目にかかることができ、自称・弟子から、弟子に昇格したのでした。そして先生はいつも弟子のことを気にかけられ、幾度となく持ち上げ、可愛がってくださいました。ありがとうございました。
2000年代中ごろの講演ではいつもココヤシの実と、ソデイカの拓本を持ち歩かれ、「こんなのイカがですか?」とイカ星人になっておられた姿が忘れられません。
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                    2006年柏崎にて
    
先生は漂着物とともに、マンモスや恐竜もお好きでした。2006年、柏崎市で「渚モノがたり」と銘打った漂着物展が開かれ、その講演後に恐竜発掘現場が見たいとのことで、富山市大山地区の恐竜足跡化石発掘現場へお連れしたことがあります。新潟県柏崎市から富山市までは130㎞ほどの道のりでしたが、今思い出しても楽しくなる珍道中でした。途中に道の駅でもあれば、すぐ休憩!気配りの石井先生ですので、その手にはプリンやら、いつもおやつがありました。ヒスイの出る市振海岸では、二人とも足元を濡らしながらのヒスイ探し!道中「たら汁」の看板があれば「たら汁、たら汁」と、何度も言われていました。昼食後でしたが、今思えばひもじかったのでしょうか?気付かず止まってあげられず、ごめんなさい。 
プカプカ通信154 ・ June-10-2016_c0057167_18225358.jpg
            2006 富山市黒川上流の発掘現場にて

 私はかなり初期からETCを使っていましたが、この時に同乗された石井先生は初めてだったようで、大そう驚かれていました。入るときも「切符取らんでいいのかね、強行突破はいかんよ!」。一番おかしかったのはETCレーンを出るときのことでした。料金表示が出てゲートが開くのですが、その時の先生の一言が忘れられません。「こうして助手席に乗せてもらうと、料金所のあたりに来ると、そわそわしてね。財布を出そうか、出さまいか、迷うんよ。財布出すのも失礼かと思うし、出さなきゃケチと思われるのも嫌だし、ETCは、良かとね。何も心配いらんとね」そう、満面の笑みで話されたのでした。(笑)こんなエピソードも気配りの石井先生ならではですね。
 先生に渡された「漂着物楽の普及」のバトン、微力ですが、次の世代へ渡して行きたいと思っております。高いところから見守っていてください。
 最後に、心よりご冥福をお祈りいたします。
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                 2010年 海ノ中道にて



思い出すあの笑顔

 初めて石井先生をお訪ねしたのは、学会設立の何年か前のことでした。ドキドキしながら玄関を入ると、上がり框には大きな赤いザルのような船が鎮座していました。ご著書に出会って以来あこがれ続けた先生が目の前にいらして、次々とお気に入りの漂着物を見せてくださるので、私はすっかりぼうっとなってしまい、どんなお話しをしたのかも夢の中の出来事のようにふわふわした記憶しかありません。
 赤いザルの船は、お伺いする数日前に奥様と二人でえっちらおっちら運んできたそうで、『今日あなたが来るのだから、あの日に無理して運ばなくても、置いておいて手伝ってもらえば良かったねえ』とニコニコしていらっしゃいました。
ある時は、ゆきさんが集めた与那国の種たちをご覧になって『沖縄にはこんなにいろんな種が寄ってくるのか』と心底うらやましそうにつぶやかれたので、八重山諸島へのビーチコーミングツアーを企画しましょうよ、と言ってみました。すると、『いいねえ、行きたいねえ。でも、これから行ってみても、もうあの人らが拾ってしまって、何も拾えないんじゃなかろうか』と小さな声で言われました。
 北海道で立ち寄った博物館の前にあったナウマンゾウの像にまたがる先生(もちろん、のぼらないでくださいと注意書きあり)、古賀大会のビーチコーミングで私が海豆を拾ったら、よかったねえと言いながらとっても悔しそうだった先生。誰彼の話を聞きながら、漂着物を見ながら、いつも浮かべていらした穏やかなあの笑顔。   
 先生のたくさんの教え子たちの一員として、わたしたちも漂着物の生徒の一人であったことが、どんなに喜ばしいことであったかを、今しみじみとかみしめています。
彼岸の浜を、久保さんと一緒にのんびり歩いていらっしゃる頃でしょうか。
石井先生、どうもありがとうございました。             小島あずさ
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                   2006年 ご自宅前にて



      石井先生 ありがとうございました    鈴木明彦

五月末の朝、横浜の京馬さんから初代会長石井忠先生が亡くなられたとのメールが届いて、驚くとともにショックを受けました。しばらく呆然としていたのですが、意を決して当日福岡に向かい、先生のお通夜に参列しました。先生はいつもの穏やかなお顔でした。お通夜の後、先生の奥様やお孫さん(中学校の数学教諭)と、先生の思い出についてお話しすることができ、いくらか心が和らぎました。
漂着物学会の創立以前から、石井先生の著書は拝見していましたが、初めてお会いしたのは漂着物学会福岡大会(2002年)の時です。初対面にも関わらず、先生は気さくに話して下さり、色々とアドバイスをいただきました。また、大会に持参した名著『海辺の民俗学』にサインをして下さいました。この時の言葉「ただひたすら歩く」は、私の座右の銘にもなっています。
2006年の北海道大会ではとてもお元気で、軽妙洒脱なお話しで場を盛り上げるともに、熱心にえりもの百人浜を歩かれていたのが印象的でした。あれから10年の今年再び北海道大会の開催となりました。ご来道されるのは難しいと伺っていましたが、北海道大会の様子をご報告できればと思っておりました。今までの石井先生のご厚情に感謝するとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

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              福岡大会(2002年)でのひとコマ


石井先生へ

北海道も冬のあいだ眠っていた草木がすっかり繁り、あるものは花を咲かせ、実を結びつつあります。4月の29日に雪が積もり、5月の20日から4日間は30度越えで、どうなっているのかと思った今年の春ですけど。

先生が昨年冬から入退院を繰り返していらしたことは、田代さんに伺っていました。それでも今回もまた、ペースメーカーやステントを入れた時のように「人造人間になった」なんて言いながら、暖かくなった頃に退院して来られるのだと思っていました。
訃報が届く前日に田代さんからの手紙が来て、しばらくは退院が難しいことを知りました。それでも、次の日に先生の訃報が届くなんて思ってもいませんでした。
ああ、お元気なうちにもう一度お会いしたかった!お見舞いに行かなかったことが悔やまれます。

石井先生は私のような者も持ち上げて、北海道には北海道全域を巡って毎日『のらつうしん』を発行している女性がいると、あることないこと(笑)著書に紹介してくださって、私は先生に足を向けては寝られません。

私は先生のイラストが大好きです!改めて戴いたたくさんのお手紙、印刷物・資料などを見直していました。なんと心を掛けていただいたのかと、その愛に涙が溢れます。本当に本当に申し訳ないくらい良くしていただいた。有り難い。
この感謝の気持ちを私はちゃんと先生に伝えただろうか?そしてもう伝える術がないと分かった今は、ただただ哀しみにくれるばかりで、心にポッカリと穴が開いたようです。

漂着物学会とそこで出会った方々で、私の人生は大きく変わりました。これもひとえに石井先生のおかげです。
先生には御恩返しはできなかったけれど、これから私ができることは多分、私のできる形でこれから後に続く人に心を掛けていくことではないかと思っています。
ありがとうございました 石井先生。
                                 中司 光子

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                2008年 伊良湖岬にて
 
 石井先生の訃報を聞き、呆然としています。
 年に一度の漂着物学会の際にしかお会いできないので、いつも大会出席を楽しみにしていました。懇親会の僅かな時間に「この間、○○ひろったんですよ〜!」 というこちらの話をニコニコしながら、ちょっぴり悔しそうにしながら聞いて下さるのが、たまらなく楽しかったです。
 種子島大会の浜歩きでは、そこらじゅう におちているためひろう人があまりいないヤシの実を片手に、「ヤシの実は誰も拾わなくなってしもたね」とちょっとふくれながらいっておられたのが、ヤシの 実びいきの先生らしいと印象に残っています。
 学会でお会いできなくなってからも、福岡にお住まいの方から、石井先生と骨董市にいった話などお聞きして、お元気そうでよかったなあと思っていました。まだまだお元気で過ごされると思っていました。
 あのユーモアたっぷりのお話を聞くことができないのが、寂しくて たまりません。
小林 真樹

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                    2010年 ご自宅にて

あれからあっという間に日が過ぎてしまいました。
告別式はまるで家族のお別れのようでした。
私にとってはそれ以上だったかもしれません。
私たち5人は、中西会長、田代さん、大上さん、藤枝さん、ユキ。
ご親族の席にまぎれて座らせてもらいました。
ご友人、ご家族の挨拶のお話に私たち一列みんな涙し
すすってました。
勿論私たちだけでなく参列されてた皆さんもです。
本当に愛されてました。
あんなに長い弔電、まるでお手紙のようでした。
読んでいただいた方皆さんそうでした。

頭の中に穴が開いちゃい ました。
泣き虫の私は時々涙してます。
体操に行ってる時も。

そしてこうも思います。
久保さんと何もとらわれずに浜を巡ってると。
ユキ
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                    2005年 葉山にて         

From Editoe: 残念ながら153号に引き続き、故人の追悼号になってしまいました。この5月には久保さんに続き、私たちの心の支えでもあった石井先生のご逝去もあり、深い悲しみに包まれ梅雨を迎えようとしています。秋の北海道大会は、お二人の追悼大会になることでしょうね。
by uki-puka | 2016-06-10 07:13 | プカプカ通信
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