プカプカ87・July-30-2009 |
青浮きウキウキ かとうしほ 先だって宮古島をはじめとする南西諸島に青い紡錘型の浮きが大量漂着したニュースをお届けいたしました。今回はその製造メーカーのホームページを見つけましたのでここにご報告いたします。 台湾からの漂着物が多いここ沖縄では、中国語の表記があるゴミが頻繁にあがります。 またコウシュンモダマは台湾のヘンチュンよりやってきますね。そういった漂着物を調べるにあたりどうしても中国語が必要と判断しましたのでこの5月より独学で学び始めました。中国本土の簡体字、 台湾の繁体字の両方を学ぶのは少々厄介ですが、おかげで様々に新しい世界が開けてきました。もう少し学びが進んだら台湾に超短期語学留学に行きたいと思っています。もちろん漂着物調査もかねて、モダマや緑玉も探したいです。 さて、青浮きに記載されている文字は簡体字ですね。電話番号があるものもあります。 しかしこれらの記載を普通の漢字や番号で検索をかけてもほとんど情報は得られません。ですので中国の産業系リンクを片っ端からあたることにしてみました。塑料とはプラスティックのこと。玉塑といえばハードプラスチック。ですからブラスティック加工業者のリンクを探してゆっくりとあたってみたのです。慣れない中国語を必死で読みながらリンクをたどって辿ってやっと行き着いたのが以下のページです。 温州塑料厂有限公司 ウェンチョウプラスティックカンパニー http://www.wzslc.com/company.asp やはり浙江省、温州の会社でした。簡体なので設定をしていないパソコンでは全文表示が難しいと思いますが、英文ページもありますのでそちらをどうぞご覧下さい。 波に鯛の跳ねる絵柄、青浮きを拾った方ならきっとご存じだと思います。鯛の横の少し空白になったところに発注主の企業名などを刻印して仕上げるようです。だからこの部分に様々なメ−カー名が入ったものがあったんですね。製品一覧のページには見なれた青浮き、日本では豆浮きなどと呼ばれている腰果型浮子(カシューナッツ浮き)発泡樹脂(泡沫塑)浮き、貫通穴の丸いプラ浮き、オレンジの細長い貫通浮き、魚籠などが並んでいます。漂着物マニアの方なら楽しめること請け合いですのでどうぞご覧下さい。ただ一つ気になるのは作りたての美品でなく、使い古しをカタログに載せているところです。どうして? 単価が知りたくてカタログを請求してみましたが、個人用は受け付けていないそうでした。このウキに自分の名前を入れてノベルティにいいなあ、なんて思ったのですがどうでしょうか。漂着物学会のノベルティも着るものとか大きなものではなく「漂着物学会」なんて刻印の入った青浮きなんて可愛いと思うのです。会員の皆様ならみんな欲しがるはず?!1000個単位なら発注受けてくれそうですよね。 イチョウが氷河期を生き延びたのは中国の内陸ですよ。モダマを始めとする漂着種子達のルーツや変異もきっと中国に沢山のヒントが隠されていると思うのです。資料や論文を自在に読めるほどに、そして現地にいって会話ができるくらいに中国語、極めて行きたいと思います。そうしてまた新しく開けた世界をご紹介してまいりますね。なんて偉そうなことを書きましたが、漂着した菓子の包材やペットボトルの表示が読めるようになってウキウキの私なのでした。 韓国製プラウキの内部 はやししげお 昔は韓国でも数多くのガラス玉が作られていました。製造するメーカーもいくつかあって、ハングルの陽刻があるヘソだけでも3種類あり、何もマークの無いヘソも数多く、きっと小さな街工場で作られていたのでしょう。 そんなガラス玉の直径は6センチ、それと7.5センチのものがほとんどでした。 そうしたガラスの浮き球がプラスチック製のウキに取って代わられたのは、およそ十数年前でしょうか。一気にガラスからプラスチックへ移行したわけでなく、徐々にプラスチック製の浮き球が出てきたわけです。 およそ10年ほど前、2000年前後は日本海側でガラスの浮き球が普通に漂着しており、そんなに珍しくもありませんでした。 この写真のように、冬の一日のビーチコーミングで、ちょっと重いかな・・・くらいの量が拾えたのですからね。 こうした浮き玉は同じような比重をもち、形も似通っているので、海の中でソート(分級化)され、まとまって漂流します。運がよいと浜にできたビーチカスプの間にガラスの浮き球が数個まとまって打ち上げられていることがありました。こんなのを見つけると、ウキウキを通り越しウハウハでした。 さて、そんな幸運な時代はどうも過去のものになってしまったようです。 近年の越前海岸では、冬場といえども毎回ガラス玉を拾えることが稀になってきて、2008年10月から2009年3月にかけてのデータでも、拾えたガラス玉の総数は10個にも満たない数字となっています。 では、その分プラスチック製がたくさん漂着しているのか?と聞かれたらそうではありません。韓国製プラ玉(直径6~7.5cm)がたくさん漂着していたのは、やはりガラス玉との交代が盛んだった2000年前後だったのです。 その頃のABS樹脂の半球を二つ接着して作られたプラ玉は、まだまだ製品として成熟されておらず、強度的には弱いものでした。プラスチックになったために上下に耳があり、その穴に浮子綱を結わえられるようになっていましたが、漂着浮きのほとんどは耳が割れ、漂着してしまったようでした。 また内部には一部補強の隔壁もできはじめていましたが、いい加減なもので海中で水圧に耐え切れず破損・・・そうして廃棄されたものが多かったのでしょう。移行期にはガラス玉もプラ玉も多く漂着していたのです。 その頃の特色として、もう一つプラ玉のカラフルさがあげられます。最近ではグレー、ブルー、それにオレンジイエローあたりが主流ですが、当時はカラーチャートができるのでは・・・と思えるほど色数が多くて、当時のコレクション、今となっては貴重な色モノかもしれません。拾えるときに拾っておかないと、後では手に入りにくいのは化石も同じですね。 さて、写真は最近の韓国製プラウキの内部構造です。隔壁の枚数が増え、隔壁の厚さもしっかりあって、プラ製品の角がキチッと立っています。このようにプラスチックの成型技術、素材の質などが向上し、破損しにくく、漂着しにくいプラ浮きに進化を遂げたようです。 |
by uki-puka
| 2009-07-30 00:00
| プカプカ通信
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